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私が独立するまでの流れ


記事を読みにきてくださってありがとうございます。

前回の自己紹介の記事、
読んでくださった皆さま、スキ♡してくださった皆さま、
ありがとうございます。
とても励みになります。

読んでくださる皆さまと一緒に夢を叶えていけたら嬉しいです。

好きな事を仕事にしたいと思い、今こうして好きを仕事にする事ができていますが、

会社員だった頃は、好きな事を仕事にすることは難しいと思っていました。

そのときの私は、料理上達のため、料理本を色々買ってひたすら作る、ということを繰り返していましたが、どうしたら夢が叶うのか分からなかったので、自己啓発本もたくさん読んで、夢を叶える方法を模索していました。

通勤中に、
「ザ・シークレット」と「夢を叶えるゾウ」
を読んでいたのは今でも良く覚えています。

初めて読んだ時は今までの私にはない考え方だったので、とっても目から鱗でした。

「好きな事を仕事にするなんて無理」
「会社を辞めたら生活していけない」

そう思っていたので、本を読んでも

「イメージしたら実現するなんて、そんな簡単に夢が叶ったらみんな実現してるしな〜」
という気持ちもありましたが、
本にはそう思ったら実現しないというようなことが書いてあったので、
書いてあることを信じて、
愚直に、その通りに実践していました。

今は独立して料理を仕事に出来ていますが、学生時代まではほとんど料理をしてこなくて、高校の調理実習では玉ねぎを焦がしたりしてました…。

社会人になってから、毎日料理をするようになりましたが、始めたての頃はちょっと焦げたような料理の写真(自分では焦げたと思っていない)を堂々とアメブロにアップしたりしてました。

その頃から、恥ずかしながらも、料理教室がしたいと言って友達に家まで来てもらったり、
アメブロや、当時はインスタをやっていなかったので、
Facebookで「料理教室する!」と周りに宣言してました。

まだ料理始め立てで公言するのも恥ずかしいレベルでしたが、
とにかく人に語っていました。

他にも色々やっていましたが、それまでの話は、以前出版した「夢を叶える12のレシピ」に全て書いているので、今日は、料理教室を始めてから現在のカフェ開業までのお話をさせて頂こうと思います。

主婦をしながら、自宅サロン・料理教室をしていた頃
毎日夫のごはんを作って、家を綺麗に整えて、
とても充実した生活をしておりました。

毎日家に帰ってきていた夫ですが、
次第に事業を全国・海外にも広げようと、
東京や海外への出張も多くなっていきました。

それまでは毎日ごはんを作っていたのですが、
食べてくれる人がいないとだんだん作る気が湧かなくなってしまいました。

私は料理が好きという以上に、
誰かに食べてもらって、喜んでもらうのが好き。
人を喜ばせるために、自分が出来る最もシンプルな方法が、
きっと「料理」だったのだと思います。

夫がいないのであれば、料理教室を増やして、たくさん生徒さんに来てもらって、ごはんを食べてもらって、喜んでもらおう!

と思うようになり、次第に主婦業よりも料理教室に力が入っていきます。

そんなときにタイミング良く、事業を広げるための「事業者・経営者の会」というものがある、と声をかけてもらいました。

ちょうど料理教室を広げたいと思っていたので、その流れですぐに入会。
そこでは、会社経営者もいれば、個人事業主もいて、
とにかく自分で事業を広げるために頑張っている人達にたくさん出会いました。

夫も帰ってくることが少なく、夫にごはんを作ってあげる機会も減り、
私も自分の料理教室・事業を広げるため、
外に出ていく機会も多くなっていきます。

ただ、そのとき私自身料理教室で稼げているかというと、
夫の収入があったから生活していけていたものの、
毎月赤字で、外に出る機会も増えれば経費も嵩む。
次第に家計も逼迫していきました。

これは夫に申し訳ない、でも自分は料理教室を続けたいし、広げていきたい。

夫は、「ただいてくれるだけで良いよ、私のやりたい事をやっててくれたら良いから」
と言ってくれたのですが、自分の中での罪悪感も大きくなっていきました。

このまま夫の収入に頼ってやっていったらきっと、
主婦が趣味でやっている料理教室のまま。(趣味どころか赤字…)

独立して、ちゃんと自分の足で立てるようにならないと!
そう思うようになっていきました。

夫と一緒にいるときに「奥さん」と言われるのも良い気分ではなくて、
私は私なのに、彼と一緒にいると、私自身を見てもらえないような気がしてしまいました。
これは私の自信のなさ、自尊心の低さゆえだと思います。
本当は環境を変えなくても、自分をしっかり持っていたら
どんな状況であっても上手くやっていくことはできたのかもしれませんが、そのときの私は、そうしないとやっていけませんでした。

結婚して7年でしたが子どもも出来なかったので、
夫婦という形である必要もないとも思いました。

結婚という制度に捉われることなく、一緒にいたかったら一緒にいればいい。離れたかったら離れればいい。

そんな私の申し出に、
「そうさせたのは自分だから」(私が独立願望を持つようになったのは彼の影響が大きい)
と、すんなり受け入れてくれて、揉めることなく離婚をしました。

離婚届を出しに言ったときに思ったことは、結婚って紙切れ1枚のものだったのかと。
こんなに好きだった人とも一緒にいれない私は、この先誰とも一緒になることは出来ないと思いました。
(これは私の考えなのでいろんな考え方があると思います)

私はそのときに、これから先、恋愛をしても、結婚はしないと決めました。

借りていたアパートは私が料理教室をしていていたので、そのまま私の名義に変えて住むことになるのですが、毎月の赤字でお金はほとんどなかったので、貯金0からのスタート。
料理教室だけでは食べていけないので、アルバイト先を探すことになります。

そして家の名義変更をしようと大家さにに申し出たとき
「奥さん、家で料理教室してますよね?このまま料理教室を続けるなら、名義変更はできません」
と言われてしまいました。
あと1ヶ月は住んでもらって良いので、料理教室をするなら他を探してください、と…

つまり、そのときの私は
「金なし、家なし、仕事なし(料理教室は収支でいうと仕事にはできてなかったので)」

なんとかなるだろうと後先考えずに進めてしまう性格のため、
こんな状況になるとは思っておらず、
アルバイト先を探しながら、料理教室ができる家も探し始めます。

猶予期間、1ヶ月!

そんな焦らなければならない状況なのですが私はなぜかあまり焦っていなくて、なんとなくきっと見つかると思っていました。
もし見つからなかったらここで料理教室は求められていないということだから、横浜の実家に帰ろう。

そして、何もなくなった自分にも残っていたものがありました。
それは、人脈です。

料理教室の生徒さん、淡路島に来て出会った人たち、事業主の会のメンバー達。

周りの親しい知り合いにはこのことを話したら、家探しを協力してくれて、
知人の紹介で、今の家のオーナーさんと出会うことになります。

私が料理教室をしていることを知ってくれていたようで
「ぜひここで料理教室をやってほしい」と言ってくれて、今のマンションに引っ越すことになります。

今のマンションのオーナーさん・そしてそのとき協力してくれた方々には本当に感謝しかありません。

それも、伝えたからみんな応援して探してくれて。
今こうしてここに来ることが出来ました。

今住んでいるところは、主婦時代に独立したいと思っていたときにイメージしていた一人暮らし像に近くて、
イメージの力が現実になったんだな、と思っています。

仕事先も見つかり、新しい場所で、バイトをしながら料理教室をスタートすることになります。

なんの手立てもないまま離婚(独立)
したことはあまり良い例ではないと思いますが、

イメージの力。
実現できたことが増える度に、叶った時のイメージが浮かぶようになり、実現が早くなっていくような気がします。

引き寄せの法則と言いますが、
何度も実現できたことを体験・体感することで、
意識しなくても夢(やりたい事)が実現出来るようになる、
そんな流れがきます。

そして、人に語ること。
今の場所とも、周りの協力で出会うことが出来ました。
誰にも言わずに一人で抱えていたら見つかりませんでした。

また、料理教室・自宅サロン開業のときは夢と思っていたので、
イメージし始めてから実現まで3年程かかりました。

叶わないのが夢なので、叶ってくるようになると夢とも思わなくなってくるのですが、
カフェ開業は、実は夢ではなかったんです。

カフェは、なんとなくできたら良いな、と思っていたら、半年位で実現出来ました。

その流れについては、次回の記事でお話ししたいと思います。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

私の過去が参考になるか分かりませんが、
読者の皆さんと一緒に、
また新しい夢も実現していきたいと思っておりますので、
ぜひフォローしていただき、また読みに来ていただけると嬉しいです。


主婦時代の過去ブログはこちら↓








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