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橋の上の花 生きるとはなにか

藤沢駅へ向かう途中、線路沿いの引地川に架かった橋の上に、お花がある。ビニールに包まれた、置かれてから何日も経った花がある。今日は三つあった。もともとドライフラワーなのか、しおれていい感じにドライになったのか、故人がそういうのを好きだったのか、わからない。まあ、故人が好きだったとは考えにくいので、何日か経ったのだろう。なんとなく、ドライフラワーからイメージして、亡くなったのは若い人だったのだろうかと考えた。そういうことじゃないけど、ちょっと派生しながら考えていると、自転車でそこを通り抜けながらわたしはいつも同じことを思うのだった。

(きっとこのひとも、まさか死ぬとは思わなかっただろうなあ。)

辻堂駅から藤沢駅へ向かう途中、舗装された自転車のレーンを進みながら、引地川へ近づく頃には上り坂になっているのだ。

どんな天気の日も、線路沿いだから遮るものがなく、明るい道だった。線路の南側は鵠沼海岸あたり。気持ちの良い海が広がっていることをいつも想像しながら、一直線の道を、唄いながら自転車で駆け抜ける。川が見えて、立ち漕ぎをしながら橋の上に到着すると、そこに見える。いつもわたしの左下に、フェンスにくくりつけられた花が置いてある。

そこはすごく気持ちの良いところだった。ようやく登り終えた、この辺りじゃあ一番高いように感じる場所だった。

今日は橋に隣接した気持ちの良い土手で、娘と一緒におにぎりを食べた。きれいに舗装された遊歩道で、自転車を脇に止めながらベンチのようなところに座り、芝生でこどもが遊ぶ姿を眺めた。

とてもいい天気だった。

ひとは死んだら何も無くなってしまうのだろう、と考えていた。遺されたひとたちがいくら偲んでも、無意味で仕方がないと思っていた。人も虫も同じで、パチン!と無くなったら、そのまま流されてしまって、淘汰されていく。生まれ変わりもなにもなく、生命は死んでは生まれ、死んでは生まれていく。生態系となり、地球誕生から現在まで、進化をしながら受け継がれていった。

わたしはある一つの通過点、一点であり、それは無数にあるうちの一点である。

だから何だ、って話でもない。

いつだって、仕方がなく、仕方がなく悲しくて、仕方がなく生きる目標を立ててみたり、仕方がなく挫折を味わってみたり、仕方がなく鬱々としてくる。あまり良いことも言えないし、悲しいは悲しい。つらいはつらい。

だから何だ、って、話でもない。

しょうがない。
右傾化する政治とアートも、鎖国的なアートも、少子化も、ユースカルチャーも、分断も、資本主義アートも、大学の新学科設立も、ジェンダーも、コロナも、鬱も、すべてしょうがない。

“ 娘がたのしそうにタンポポをちぎり、カタバミのピンク色のお花を無造作に摘んではフラワーシャワーをして一瞬で撒き散らす。タンポポは持って帰るというのでママのポケットに無理やり入れる。しおれちゃうよ、帰る頃にはぐちゃぐちゃだよ。でもいいの。ママ持ってて。 ”

「ハトさん、ハトさん。」

この前まで怖くて騒いでいた鳩に自分から近づくなんて。もう怖くないの?

座ってるとなんかの拍子に一斉に鳩の集団がこっちに歩いてやってきた。(上野公園みたい...)わたし鳩おじさんだと思ったのかな。

「きゃあ!」

バサバサとびっくりした鳩が一斉に飛び立って、娘が大泣きしていた。びっくりした。こっちに来ると思ったのね。よく分からないものね。何をされるのか、よく分からなかったみたい。だけど鳩はエサをくれると思ったんだよ。怖くないよ。

引地川の橋の隣の遊歩道から、場所を変えてわたしたちは次の目的地へ向かった。ちょっとした通過点のつもりだったのだ。

今日のところは、わたしは蚊のように生き、人間らしくも生きたいなあと思う。

(写真はコロナ自粛中に描いた作品[「やまたきにじぼく」後藤てるみ]最後は ぼく。)