カナダに住めないカナダ人
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バンクーバーの物価とお給料事情
突然だが、私たちがカナダに住んでいた2015年頃のお金事情をぶっちゃけてみる。
当時私の仕事は語学学校の学生アドバイザー。簡単にいうと英語を学びに来た生徒たちが、学校生活で困っていないか、チェックするのが私の仕事だった。
英語がある程度できれば特に難しいことはなく、エントリーレベルの仕事と言っても過言ではない。デスクワーク未経験の私にはちょうどよかった。
様々な国の人たちと交流ができる語学学校での仕事は、自分には天職とさえ思えた。
そんな私の給料はというと、日本円で月16万円程度。
10時から18時、週5勤務の契約社員という勤務体系。
当時の最低賃金が$10.45(日本円で約1000円程度)でこの金額に多少上乗せされた額が私の時給だった。(現在の最低賃金は$15.65まで上がっているらしい!日本は、この10年で200円程度の上昇なので比較すると面白い。)
ネイティブではないし、キャリアもない自分にとっては妥当なのかなと考えていた。
ではバンクーバーで生まれ育ったネイティブの彼はというと、貿易をメイン事業とする日経企業で、旅に出る前まで正社員として働いていた。
そんな彼の給料は日本円で月28万円程。日本の平均月給と比較すると、いたって普通と思うかもしれない。
対してバンクーバーの物価はどうなのか。(カナダは州によって最低賃金も物価も異なるので、バンクーバーに限定。)
【家賃】
ダウンタウンの家賃平均(アパートの一部屋):約$600~$900
ダウンタウンの家賃平均(アパート全体)約$1200~$1700
郊外の家賃平均(アパートの一部屋):約$500~$800
郊外の家賃平均(アパート全体)約$1100~$1600
【交通費】
3ゾーンで料金が分かれている
1ゾーン(だいたい車20分圏内)の定期:$91
2ゾーン(だいたい車50分圏内)の定期:$124
3ゾーン(だいたい車で60分以上)の定期:$170
【食費】
玉ねぎ5個入り:約$3
スタバのトールサイズレギュラーコーヒー:$2.25
(外食)ラーメン一杯:約$10(チップ込み)
(外食)ビールとポテトフライ:約$20(チップ込み)
食費は私の記憶の範囲なのだが、外食が日本の1.5倍高いイメージ。今では衣食住すべてにおいて、さらに値上がりしている。
家賃に関して、この数字だけ見ると、東京と変わらないと思われるかもしれない。しかしバンクーバーと東京の家賃には、決定的に違うところがある。東京は、エリアや築年数を選ばなければ10万円かからずに一人暮らしができる。
しかしバンクーバーのアパートは、どれほどボロくても、それなりの値段がするから一人暮らしには絶望的なのだ。そんなわけで、バンクーバーには一人暮らしをする人がほとんどいない。
英語が話せても感じた仕事の限界
こうした物価上昇に、最低賃金の底上げが追い付いていないように感じた。ならばもっと給料の高い会社へ転職だ!と彼の背中を押しまくった。
自分も頑張れよ!とツッコまれそうなので説明しておく。
私は自分が働いていた語学学校の仕事が好きだったので、転職には積極的になれなかった。
それでも貯金を増やさねば!ということで、他の語学学校が出す、給料の高い求人募集を見つけてはトライしていた。
応募してみるものの、惨敗が続き心が疲弊してしまった。
そんなとき2か月の旅を終えた彼が帰ってきたのだ。3年勤めた会社を辞めて旅立った彼は、すぐにでも仕事を始めなくてはならない状況。
英語はネイティブ、貿易会社での社会人経験あり。コミュ力あり。
すぐに仕事が決まると思った……のだが結果は惨敗。
正確に言うと、彼のやりたいと思える仕事がない!少しでも興味があると思えた仕事は経験不足で不採用。
バンクーバーは観光都市で、当時の求人募集欄は飲食系の募集で溢れかえっていた。一方で彼が興味を持っていた業界はITやスポーツ業界。はたまた過去のボランティア経験から災害対策なんていう、かなり限られた業界にも興味を示していた。
彼の興味がある業界はどれも、専門知識や経験なしには入れない世界。当時28歳の彼は、ここから4年以上学校に通う気力も資金もない。
これって無理ゲーじゃん!
周りのカナダ人はどうしてるんだ?と思って聞き取り調査をしてみた。
彼の友人Mは大学まで出たけど飲食店に勤めている。友人Aは映画制作会社でクリエイターをしている。実はバンクーバーは映像産業が盛んなのだ。(街中で、ハリウッド映画の撮影に出くわすこともある。)
他には学校の先生、カメラマン、銀行員。
本当はもっとリサーチしたら、いろんな仕事があったのかもしれない。けれど当時の自分は人と話すことでしか選択肢の幅を広げられなかった。
そして相談した人みんなが、口を揃えて言うのは決まって
「バンクーバーには仕事の種類が少ない」
そればかりだった。
やっぱり無理ゲーじゃないか!
働き先を求めて、いざニッポンへ!
「オリンピックもあるし、日本行っちゃえば?!」
当時お世話になっていた、人材紹介会社を経営しているMさんの一言に私は、ハッとした。
日本人なのになぜか「帰国」という選択肢が抜け漏れていた。カナダの別の都市に引っ越しを検討したり、アメリカで仕事探しをしようとしたり、見ているのは日本の外ばかり。
カナダのゆったりモードから、日本の全速力モードに切り替えることができる気がしなくて、「帰国」という選択肢は無意識的に除外していたんだと思う。
「帰国」が一度頭に浮かんでしまうと、もはやもう日本での生活ばかりを妄想してしまう。仕事を探してみたり、日本の友達に連絡してみたり。
Mさんの一言から約半年後、彼と2人で日本移住を決めた。結局、日本での仕事も家も決まっていないまま日本移住を決断したので、いろいろ不安はあった。でも自分の「なんとかなるっしょ」マインドと、直感を信じて日本への片道切符を購入したのだった。
私からすれば生まれ育った国へ帰ることができるので、楽しみなチャプター第二章の幕開け。だが、彼は違う。バンクーバーが彼の生まれ育った故郷なのだから、友人も家族も、いわば彼のすべてがそこにある。
彼は噛みしめるように言った。
「物価高騰が原因で、生まれ育った大好きな街を離れなくてはいけないことは、すごく寂しい。そして、たくさんの友達が同じように苦しんでいる。でも彼らは僕みたいに移住のオプションがない。」
「日系」というだけで日本移住のハードルが下がる。だからこそ私たちは新たな場所で、新たな道を歩み始めることができたわけだが、多くの人にとっては簡単なことではないだろう。
生まれ育った街に住みたいのに住めないこと。
新しい街に出て、新しい挑戦を始めたいのに始めることができないこと。
どちらも、なんだか切ない。