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他人のプライベートを笑うな
前提として、僕は他人の私生活に興味がない。それに興味がある人に対して何故興味があるのだろう?という興味を持って今これを書いている。タイトルは昔見たけど、あまり興味が湧かなかった映画から。当時は珍紛漢紛だったが、今見たらわかるのだろうか。いきなり脱線したけど書き進めよう。
私生活というのは外の顔の向こう側であり、自宅や家庭、交友関係など、外面を剥ぎ取った中の話し。僕はSNSで、他の家族の話しや恋人との話しなどに興味がない。だから自分も内面を外には出さない。あまり知り過ぎていても気持ち悪いし、そんな話しを他の人と話すのもデリカシーがないように思う。
さて、なぜ興味を持つか?と言えば、一つ目は好意だろうか。二つ目は憧れ。三つ目は嫉妬。これらの一つ一つにグラデーションがあり、それは人間様らしく複雑に混ざり合っている。そして他人に対して考え続けられるほど時間があるのだろう。
芸能ゴシップがまさにそれで、僕はあの手の話しが大嫌いだ。誰と誰が結婚しようが付き合おうが遊んでいようが心底どうでもいい。だって、それを知ったところで僕には徳がない。
そしてこれが、それぞれのコミュニティに降りてくるのだが、ポジティブに言えば結婚ならお祝いしたりするし、ネガティヴに言えば痴話喧嘩や対立などが起きると、そのコミュニティから人がフェードアウトしたりすると考える。
人は一人では生きてはいけないが、捨てる神あれば拾う神ありでもある。余程なサイコパスでもない限り、どこかしらの群れに属することもあるだろう。失って手に入れて、また失うことの繰り返しが人生だ。
少し話しはズレたが、僕は基本的に「人は自分に興味がない」と思っている。ただ単に僕が興味を持たれるような人間でないだけかもしれないが、これまでの経験上で導き出した結論は現状これである。
しかしながら、自分に興味関心を持ってもらい、助けてもらえたことも少なからずあり、そういう方々には恩を感じている。その恩を返したいと思うから、その人の活動は見守るし、時には伴走したりもする。
なんてことを書きながら、僕はこの「興味」について考えることに飽きてきた。それと同じように興味は長続きしない。現代は情報の流れも早く、尚且つ不景気でジリ貧だ。赤の他人より自分。または「自分の視界」に入った人へ多少興味を持つくらいが、ほどよい興味なのかもしれない。
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