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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 1: 彰仁親王の和歌

日本橋魚市塲沿革紀要とは

築地市場から豊洲市場への移転は記憶に新しいと思います。築地市場ができる前、日本橋には江戸の水産物流通を支えた魚市場がありました。

この日本橋魚市場は、天正十八年(1590年)の徳川家康による「江戸お討ち入り」と同時に摂津・佃の漁民森孫右衛門一族によってはじめられたとされます。その後、関東大震災による崩壊まで長く運営されました。日本橋魚市場の発達は日本の魚食文化に大きな影響を与え、特に関東・東北方面の漁業を隆盛に導いたとされています。

そのような重要な役割を担った日本橋魚市場についてまとめたのが、明治二十年(1887年)に東京府商務課からの質問をもとに成立した「維新前東京諸問屋商事慣例」による調査をきっかけに生まれた日本橋魚市塲沿革紀要(以降、本書)です。

本書は江戸の創世期から末期までを記録した唯一の古典です。各種解説書や都の昔の資料などをあたりつつ、オリジナルを一つ一つ読み解きながら、なぜ日本の水産物流通は今の形になったのか・今後どのような姿になっていくのかについて考えていきます。
(なお、原典はこちらから参照しており、表題のページ数などもここの指定から取っています。国会図書館の皆々様、感謝に堪えません)

表紙と和歌

日本橋魚市塲沿革紀要の表紙

まずは表紙です。明治二十二年なので、1889年に刊行されたことがわかります。大日本帝国憲法が公布された年ですね。この本の発行者は日本橋区本船町十八番地の魚会所の川井新之助であり、編集者は同じく川合忠兵衛。印刷されたのは八官町、現在でいう銀座8丁目〜土橋近くです。

彰仁親王の和歌

左のページには和歌が書かれています。右側に「彰仁」とあるとおり、皇族である彰仁親王の直筆です。

大みくに とまさむ
みちをワたつミの
なみの底まで
開きつくせよ

という漁業の開発を説いた歌です。もともと彰仁親王は大日本水産会の会頭であり、この歌は同年1月に開所式を行った水産伝習所(現在の東京海洋大学。私もここの院を出ています)に下賜されたものです。

先述の川合忠兵衛も水産伝習所に寄付金を出しており、この歌を借り受けるに至ったのでしょう。

次の章から緒言・目次・本文と進むのですが、今回はキリが良いのでこのあたりで。今回含め、以降の内容は日本橋魚市場の歴史(岡本信男, 木戸憲成 著) に準拠して執筆していきます。

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