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サザエさんと魚食の伝統:「大衆魚」の誕生を読んで

歌詞に見る食卓の情景

「お魚くわえたドラ猫追っかけて はだしで駆けてく 陽気なサザエさん」

表記の一節は、日本の国民的アニメ『サザエさん』のオープニングである。誰もが口ずさむことのできるこの曲は、1969年の放映開始当時から使用されていた。東名高速が完成しアポロが月へ行った、高度成長期も終焉を迎えつつある年のことである。

サザエさんが通う魚屋「魚徳」(長谷川町子美術館公式より)。この店は飲食店として世田谷区に現存している

この歌詞からは、当時の食卓における魚の消費のされ方が浮かび上がってくる。主婦が家計をやりくりしながら、日々家族の好みにあわせた旬の食材を鮮魚店で購入する。持ち帰ってそれを煮たり焼いたりしつつ、食卓の準備をする。完成すると、親子三世代がちゃぶ台を囲んで食事につく。

このように、明確な性別役割分業のもとで家事を中心となって担っていた女性たちが、不定形で多種多様、かつ調理に手間のかかる水産物を日々食卓にあげていた。

サザエさんの食卓研究 ~50年前、磯野家の晩酌はこうだった~より、サザエさんの食卓シーン。おひつのご飯に加え、食卓にはアジかイワシ?の焼き魚と思われるものが並ぶ。

さて、このように「お魚くわえたドラ猫…」から浮かび上がってくる魚の消費のされかたは、(近世から続く)日本における食の伝統的パターンといえるだろうか。このほど出版された「大衆魚」の誕生は明確にこれを否定している。

確かに、海に囲まれた日本では、旧石器時代の昔から水産物が消費されてきた。しかし、沿岸の一部を除くと、高度成長期のように、日常生活の中で水産物を消費し続ける生活は広く普及してはこなかった。そもそも魚をはじめとした水産物は、あくまで農作業などに耐えられる体を作るためのたんぱく源として、また、ハレの日のための特別な食材として扱われていた。

正月はよいもんだ 雪のようなママ食って 紅のようなトト(注:ここでは塩ざけのこと)食って 油のような酒のんで 正月はよいもんだ

新潟県魚沼に伝わる正月の年取り歌。矢野憲一「魚の文化史」より。
焼いた塩ざけとともに飯や酒をいただくことは贅沢だったことが伺える。

日常的に水産物を口にする生活は、戦後の漁業生産力の大幅な拡大や、流通網の整備、所得の向上などによって日本全体に拡大していった。サザエさんの歌詞から浮かび上がる魚食の情景も、一見伝統的なものに見えるが、実はかなり現代的な消費の姿の一部といえるだろう。

では、このような魚の消費のされ方、いわゆる「大衆魚」と呼ばれるものは、いつどう生まれたのか?突発的に生まれたものだったのか?先に触れた「大衆魚」の誕生はこの問いに答えている。

いわく、それは第一次・第二次大戦の間にあたる「戦間期」に端を発していた。新たに家事労働時間を費やしつつ、日々多様な水産物を食べることで生活の質を上げようとする消費のされ方が戦間期の大都市で定着しつつあった。個々の生産地域が大都市の消費生活に対応することで、新たな需要が創出されるなどの質的な変化も生じていたのである。

需要と供給の双方に着目しながらそのメカニズムを明らかにしていくこの本を読んで、多くの気づきを得ることができた。そこから浮かび上がってくる消費のあり方からは、水産物の生産を基幹産業とする地域の存在や水産資源の制約を見えにくいものとした、未来へとのびる負の遺産の陰を落としているように感じられる。

水産分野だけでなく、消費のあり方、生活について関心のある方に、ぜひご一読されることをお勧めする。

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