見出し画像

『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 19: 魚納屋役所のお仕事

前回に引き続いて、魚納屋役所のお仕事について見ていきましょう。

按スルニ幕府膳所ニ於テ日々用費スル所ノ魚物ヲ買入ルル處ヲ納屋ト称フ監督吏員数名アリ之レヲ納屋掛リト称フ賄頭輪番ニ之ヲ勤ム(幕府ハ日々政務ニ関スル閣老以下ノ諸役員日々登城ノ輩ニ午飯ヲ賜フヲ例トス但シ官職ノ大小ニ従テ等差アリ日々数十種ノ魚類ヲ要スト云)納屋ハ各市場ヲ探問シ若シ魚物ヲ隠蔵スルヲ見聞キスレハ迫テ之ヲ納致セシム尚其十分ナラサルヲ知ルベキハ納屋掛リ吏員直チニ臨テ其実否ヲ糺察ス凡ソ納魚ハ御用魚ト称ヘ一定ノ価アリ半年乃至一年毎ニ其価金ヲ下付スト雖モ之レヲ時価ニ比スレハ恰モ千百分ノ一ノミ是ヲ以テ該商估ハ時アリテ許多ノ損失ヲ醸スカ故ニ専ラ隠匿ノ弊アリ他ノ商估モ運上冥加等ノ名称ヲ以テ税金或ハ雑品ヲ納ムルモノアリト雖モ魚問屋ノ損毛ヲ来スヨリ甚シキハナシト云フ

日本橋魚市場沿革紀要



 幕府の膳所において日々消費する魚を買い入れるところを納屋といった。これを監督する役人が数名おり、これを納屋掛と呼んだ。賄頭は輪番で務めた。幕府は日々政務に関する閣老以下の諸役員が日々江戸城に来るものたちに食事を振る舞うことを慣例としていた。
 ただし、官職によって差があり、毎日數十種類の魚が必要だったという。納屋は、各市場を探し歩いてもし魚を隠しているものを見聞きしたら、迫ってこれに魚を納めさせた。
 納められる魚は「御用魚」と呼ばれ、公定価格で半年から一年ごとにお金が下げ渡されたが、これは時価と比べて千百分の一だけだった。これでは損をしてしまうので、魚を隠してしまうという弊害があった。他の商売も税金や雑費はかかっていたものの、魚問屋のこの損失ほどひどいものはなかったという。

こんなやり方されたらたまったもんじゃないですね…(現代に置き換えてみても、いきなり役人なり警察官が魚隠してるだろ!とあさりに来るわけですから)。

それはさておき、「官職によって差があり、毎日數十種類の魚が必要だった」の部分が気になります。どういう位の方がどういう魚を食べたのでしょうね?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?