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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 18: 魚納屋役所の設立

一 寛政四壬子年納魚請負人ヲ廃シ更ニ四日市町ニ魚納屋役所ヲ設立シ日々ノ需要品ヲ直買ス當時四組問屋等ノ行事ハ毎月輪番ヲ以テ毎日壹人該役所ヘ参候シテ其ノ事ヲ取扱フタリ

日本橋魚市場沿革紀要

寛政四年(1792年)、納魚の請負人を廃止して、四日市町に魚納屋役所を設立して日々必要な分を直接買った。当時四組問屋等のまとめ役は毎月輪番で毎日一人魚問屋役所に行って幕府の魚の買付を取り扱った。

幕府に魚を納める仕事は、当初は有力な魚問屋が担っており大変名誉あるものでした。しかし、幕府の買い上げ価格は市中価格よりも低く、次第に納める量が増えてその中身も高級魚…となると、経済的な負担が大きくなっておきます(幕府のお財布事情も悪化の一途を辿るので、支払いが滞ることも…)。

そこで特定の請負人に納魚を任せる請負制がスタートしました。請負人は幕府の代理人としていわば大きなチャンスを得ることになりますので手が上がりましたが、欠品は許されず、損も自分で補填しなければいけないため、最終的には廃止されます。

そこで今回出てきたのが、魚納屋役所です。幕府は魚納屋役所というものを設立して、ここに役人をおきます。彼らは半強制的に魚を召し上げていきました。魚問屋たちによる自主的な納入から、公定価格で幕府が買い取る形に変わったわけです。

この役人たちは、いい魚を探しあてては取り立てる(幕府に納めると市価の何分の一しか儲からないからいい魚は隠される)ため、すこぶる嫌われたとか。

そして歴史が下ると、さらにこの制度も変わっていきます。そうこうしていくうちに、時代は幕末の世へと向かっていくわけです。

魚納屋役所の詳細に関するパートは、また次回に。
(サムネは葛飾北斎の富嶽三十六景:日本橋です)

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