見出し画像

密教を活用した後醍醐天皇

色々と珍しい要素の多い真言立川流は平安時代の末期に仁寛によって開かれました。
そして、南北朝時代に発展しました。

その発展に貢献したとされているのが文観です。
1278年に播磨に生まれた文観は末寺で学び、法華山一乗寺で得度し、若き日は山林修行に明け暮れました。

そして、奈良の西大寺で律僧となり、生駒竹林寺の長老になりました。
大きな影響力を持った文観は醍醐寺の道順から教えを受け、真言密教の僧となりました。
山林修行をしていたこともあり、文観の力はすごく、後醍醐天皇が護持僧として信頼していくことになりました。

後醍醐天皇は鎌倉幕府に政治の実験を奪われていることを嘆き、密教を武器にしようと考えたのです。

後醍醐天皇は護摩壇を構えさせ、あらん限りの調伏を関東に向けて祈祷させたのです。

文観が自らの力を伸ばして、天皇の信頼を得ていき、歴史を動かすほどの僧侶になっていきました。
見えない世界というのは歴史をも動かすことができるということです。
そのくらいの大きな力を持っています。
さすがにそこまで大規模でなくともと思われると思いますが、個人レベルでも十分な変化を起こせるでしょう。
そういう見えない世界に興味のある方はこのご縁にぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。