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格差社会に鬼たちが伝えているメッセージ

日本の文学にはおどろおどろしい話が沢山出てきます。
古事記や日本書紀をはじめとして日本霊異記、太平記、宇治拾遺物語、今昔物語とあげればいくらでも出てきます。
それらの話に鬼が出てきますが、彼らは放逐者のメタファーですから、憤怒や怨霊の塊とも言えるわけです。

政治支配が不安定な際に、勝者と敗者、差別と被差別、富と貧困などの分断が社会で起こります。
また、仏教の考え方により死後の世界の影響もあるのでしょう。

桃太郎の様に、鬼を退治する話は単に主人公の武勇伝に過ぎず、別世界に住む者を鬼とした世界観なわけです。

能の場合は、むしろ鬼が主役となっている場合が多く、いかに酷い目にあった怨霊かという話から、打ち負かされて去るというシナリオが王道です。
歌舞伎の場合は能をもじっている背景もあるため、体制者批判として鬼を使って風刺していることが多いです。

東海道四谷怪談ではリアリズムとしての怨霊の世界ですし、近松門左衛門の義理人情に苛まれた鬼というのは美しい姿で描かれます。
忠臣蔵のような復讐に囚われた鬼たちは天晴れな姿として語られますね。

様々な作品に鬼が出てきていますが、見えない世界について分かってくると単なるフィクションではなく、風刺であることが見えてきます。
そのように見えない世界を伝えるということは好奇の目に苦しむことなく力を発揮できるということです。
凡人に天才が殺されないようにするためには、特殊な力をロジックで表現できることです。
両面からやっていくのはそういう意義があると思います。


これからも良い記事を書いていきます。