道教と霊符
単なる札だったものが、徐々に霊符として活用されるようになりました。
そして、道教で霊符が使われるようになりました。
その起源は、五岳真形図です。
三天太上道君が天から見た山や川を霊視し、それを書き写したものが、この霊符です。
中央のあるのは黄帝の住む伝説の山である崑崙山です。
その四方を青帝の住む東岳、白帝の西岳、赤帝の南岳、黒帝の北岳があります。これらを書き写したのです。
道教の教典である雲笈七籤には、霊符三光の霊文、天真の信なりと書かれています。つまり三光である太陽、月、星の姿を形取った天の神々の印だと解説されているわけです。
後漢時代になると張角の存在です。
彼は水に霊符を浮かべたものを飲ませることで、医療行為を行いました。
また張道陵が霊符だけでなく、籙も始めるようになりました。
籙は、神の名前を書いたもので、必要な際に神や仙人の力を呼び出すことのできるものです。
鬼神を呼び出して思うがままに使っていました。その神通力はとても強かったと言われています。
時代が進むに連れて、籙や符を使う派閥が増えてきました。
元の時代になると、不老不死の方法を研究する内丹法をメインとしていた派閥も霊符の研究に乗り出しました。書き方も研究され、さらに効果を出すべく、複雑化が進みました。
霊符の発展と道教の関わりによるものが大きかったということです。
このように霊符一つとっても多くの背景があります。スピリチュアルなことを怪しむ人も残念ながら多く、こういう方々と話をするためには、このような理論を語るのが一番有効です。ただ書き写すだけでなく、中身もきちんと学びたい方は一緒に学びませんか。
これからも良い記事を書いていきます。