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文観と文殊菩薩

文観は高野山側から様々な理由で非難を受けました。

しかし、最も大きな非難はダキニを祀って後醍醐天皇に近づいたことでした。
日本では白い狐とされていますが、インドでは天空を飛翔し人間の精魂を食べる恐ろしい存在です。

死期の予知などの生死にまつわる力があるのですから、その魔力の凄まじさは呪殺や生命力の増大など様々な応用が考えられるでしょう。
また、世俗的な栄華や福徳、恋愛などにも通ずるわけです。
人間の思慮でははかれない不思議な例苗字材の力を得られるというのがダキニの法ですから、そんな途方もない力を持っていたのでしょう。

実際に、文観という名前を踏まえてもダキニの力を使っていたということは分かります。
文殊菩薩と観音菩薩の頭文字を取って文観なのですが、ダキニは文殊菩薩の変化とされているからです。
それだけの法力を持っていたのですから、時の権力者である後醍醐天皇が見逃すはずもありませんね。

密教の力を駆使して歴史を大きく動かした文観、同じ力であっても、ダキニの力と文殊菩薩の力と言葉を変えるだけで大分イメージが変わってしまいます。
深いところまできちんと把握し、言葉のトリックによって本質を見逃さないようにしていきたいですね。


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