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最澄の道

山修行をしてこなかった最澄は密教の奥義を習得できず、弟子を高野山に派遣する形となりました。

そのうちの弟子だった泰範は修行に行ったきり比叡山に戻らないという事件も起こってしまい、空海と最澄の関係は冷え込んでしまいました。

最澄は教団の拡大と勢力に全力を傾けることになります。
九州や東国にも布教を行い、比叡山を僧侶養成の聖地にしていったのです。
12年籠山などの勉学や修行の方針を固め、比叡山は宗教家を育て上げるための教育機関となっていきました。

822年に最澄は56歳にしてこの世を去ります。
比叡山の峰には奇雲がそびえ、異光が谷を輝かし、鳥や鹿は悲しみに鳴き、草木は枯れ衰えたと言われています。
そのくらいの悲しみがあったということでしょう。

その後に弟子たちが活躍していきました。

まず、円仁や円珍は天台密教という真言密教とは違う密教を生み出しました。

その後も多くの高僧を輩出しました。
浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、時宗の一遍、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮など、彼らは比叡山で修行しました。

本人は密教は習得できませんでしたが、その死後、弟子たちの活躍によって天台密教を生み出すことができました。
人生というのは今生だけではありません。
見えない世界というのはずっと続きます。
そんな長い視点を身につけられるのも見えない世界について学ぶ意義ですね。


これからも良い記事を書いていきます。