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司馬遷の憧れ

司馬遷は各地を訪ねて、思想の地や合戦の地を調べていきました。

開封から東の徐州に移動したわけですが、ここはかつて楚の領地であったために、春申君の城だった宮室を見ました。

その後、箕山に登りました。
ここには許由の塚がありました。
そして、若き司馬遷の歴史を知る旅の最後の場所だったのです。

実際にこの段階であの膨大な史記を書く決意はしていないかもしれませんが、歴史への興味がいかに強かったかということはこの旅の大変さを考えれば想像がつきます。

その地を訪れて歴史を知り、各地の風光をその目で見て、百三十巻にもおよぶ大作を完成させたのです。
特に戦国四公子をを精彩に描いているのは実地での取材の賜物です。

司馬遷が生きたのは武帝の時代です。

官僚がさまざまな規制を行い、若者たちにとっては息苦しい時代でもありました。
まさに個人が活躍できた戦国時代、自らの人生を切り開いた四公子たちは司馬遷にとっても憧れだったのでしょう。

リアルな歴史を実際に訪れて調べていったからこそ、あの史記が書けたということです。
家柄という運命に従い、歴史を記していったことで大きな成果を残しました。
実際にやりながら学んでいくというのはとても重要なものです。
見えない世界について実践的に学びたい人はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。