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天狗と流れ星

天狗という言葉が文字として記録されている書物で最も古いものは日本書紀です。
舒明天皇の時代に流星が現れたのですが、中国留学から帰国していた僧の旻が天狗だと説明したのがはじまりです。
(当時は天狗という字はアマギツネと読まれていました。)

たしかに、翼の生えた狐のような姿の天狗(テンコウと読まれている)という記述も山海経に出ていますし、猿に似たような描写や鳥に似たような描写も残されています。
星の一種として扱われているものもありますね。

日本書紀の記述によって流れ星を天狗だと思ったのだろうというのは表面だけを見る科学主義の考察ではあるものの、実は大きな矛盾があります。

流星のように見えるそれは怪しげな音を発していたというのです。
旻が流星の吠える声は雷の如しと言っているのですから。

音は振動で、空気を伝って聞こえるわけですから、流れ星は音がしないはずです。

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科学的知識を持ってすれば、その流れ星のように見える光は流れ星でないという特大のブーメランが科学者たちに刺さるという滑稽なことが分かります。

天狗が今のように妖怪としての地位を確立するのは平安時代になってからです。
今昔物語には多くの記述が出てきます。

科学で解明しようとしても科学的におかしいことが出てきますが、そういう都合の悪いことは無視するのが唯物論者です。
そういうものがあるということは認めないといけないと思います。
実際に日本書紀のように偉い人が書いたのですから、その辺のフェイクニュースとは訳が違います。
見えない世界もそのような背景をきちんと知った上で発信することがご都合主義者と対峙するには有効です。
背景も一緒に学ぼうと思った人は一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。