あるがままの道
老子は道徳というものを唱えました。
自然を生まれては消滅していく物理的なものとして捉えました。
そこから物事には一定の法則で動いているということを見出します。
万物の根元、そしてそれを動かすものを道と名付けました。
道というのも不変ではありません。
無でありながらも、宇宙には万物があるわけですから、有でもあるわけです。
無は何かが生まれる始まりであり、有は滅亡への始まりなのです。
無と有が互いに変化していく作用というのは、はかりしれないからこそ、玄なのです。
この玄によってあらゆる変化、森羅万象が現れるという訳です。
この道の法則というものは人間社会にも当てはめることができます。
政治も経済も自ずから発展するにも関わらず人間の作為的介入によって規制が何重に加えられ、法が法を生み、社会をがんじがらめにしています。
人間の主体性は無くなってしまったのです。
作為を排した無為自然を尊ぶ主張というものはこういう背景から生まれています。
自然という何か大きな存在と向き合うことで政治や経済のあり方にまで言及した老子でした。
このように大きな存在というか、見えない世界はきちんと学ぶことで現実の身近な部分にまでどうあるべきかということが見えてきます。
見えない世界を学び、現実に生かしていきたいと思う方は一緒に頑張りましょう。
これからも良い記事を書いていきます。