見出し画像

司馬遷の神話調査

司馬遷は家の仕事を受け継ぐ形で太史令という役目を負いました。
生まれながらに歴史を記述する運命にあったと言えます。

その役目もあり、20歳の時から各地のことを知るために旅を始めます。

まずは江蘇に行き、劉邦と韓信の貧しかった頃の話を取材しました。

そこから南に向かい、夏王朝の始祖である禹が九江を疎いたさまを確認しました。

さらに会稽山に登り、禹の墓である禹穴を訪れました。

後に越王となる勾践もここで臥薪嘗胆し、復讐を遂げましたから、因縁の地と言えるでしょう。

禹穴まで訪れたのですから、禹に譲位した古代の皇帝であるについても訪れることにしました。

舜の終焉の地とされる九疑山に登りました。

そこから長沙に行き、その政治家である屈原の死を悼みました。

そのような旅によって、楚について学んでいったのです。
そこから北上して蘇州に行き、呉王の闔閭と夫差を霊を弔いました。
そこから斉や魯に向かいます。

司馬遷は神話クラスの歴史を知るために多くの地を訪れました。
実際にその地で神話を目の当たりしていったのです。
実践的に知っていくというのはまさに大切なことで、見えない世界もそれと同じ、実際に行って経験しながら知を蓄えていくのが大切です。


これからも良い記事を書いていきます。