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杜甫と病

杜甫は飢饉などを目の当たりにした後、成都に移り住みました。

成都では平穏な暮らしをすることができましたが、長くは続きませんでした。
杜甫のパトロンであった厳武が長安に戻った隙に、徐知道が反乱を起こしたためです。
これにより、杜甫は再び放浪生活をすることになりました。

各地を点々とすることになりましたが、厳武が復帰したことで、再び成都に戻ることができました。
しかし、頼みの綱であった厳武は急死してしまいます。

そこで再び成都から出て各地を点々とし、四川に移り住みます。
そこでは430を超える詩を書きました。
これは作品の2/7を占めます。
その中でも傑作もありましたが、この頃から杜甫は健康を蝕まれており、医者から禁酒まで命じられています。
酒好きだった杜甫は寂しい気持ちになったのことでしょう。

57歳になった杜甫は再び移住することにしました。
長沙に落ち着きました。

しかし、そこでも反乱があったために南へ行きましたが、病をこじらせてしまい59歳の生涯を閉じました。
牛肉の食べ過ぎと白酒の飲み過ぎでした。

貧困と流浪に耐えた人が、天下に思いを致す作品。
この辺りが芸術的な価値として高く評価されたのでしょう。

様々な時代の動乱を見聞きし、それを作品としてのインスピレーションにしてきました。
何かをひらめくには見えない世界のことを知るというのは非常に有効です。
興味のある方は是非一緒に学びましょう。


これからも良い記事を書いていきます。