リスケの功罪
日本に太陽暦が入ってきたため、天保暦からグレゴリオ暦に強制変更されました。
とはいえ、世界の日付と当時の日本の日付は違いましたから、合わせなければいけなくなりました。そこで改暦詔勅となったわけです。
これは明治5年の12月3日が突如明治6年1月1日になってしまったということです。
現代でもクリスマスがスキップされたら大きな問題が起こるでしょう。
当時はイベントとしてのクリスマスはありませんでしたが、パニックは免れません。
天保暦では1日は新月でしたし、15日は満月でした。
この原則が崩れてしまうことになったのです。月次祭は新月や満月でない日になりました。特に満月の日に行っていた15日のお祭りは月明かりのない中で行うという暗闇祭りとなりました。
また、12月31日に大祓をやっていますが、これは現代も31日のままです。本来なら翌日の1月1日が立春だったはずなのに、それが2月の頭になってしまったのです。
つまり、年越しの大祓から1ヶ月も経過した後に節分である立春が行われるというのは時間があきすぎではないでしょうか。
鬼を恐れたはずの立春の節分で無防備にしていることが大きな問題だと言えます。
これも日本を弱体化させる作戦と言えば間違い無いのでしょうが。
お祭りというのは見えない世界を意識した昔の人が設定してきたことです。それをやすやすと壊してしまったのだから、非常に恐れ多いことです。たかがカレンダーを変えただけというわけではないことがお分かり頂けたと思います。
このように見えないことを知ると、一つの詔勅もおかしいと気づくことができます。
このようなことを知っていきたいと思われる方は、ぜひ一緒に学んでいきましょう。
これからも良い記事を書いていきます。