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改元と陰陽道

呪殺など中々物騒な陰陽師もいました。

一方で陰陽五行の理論派陰陽師も多く出てきました。
代表的なのは三善清行です。

彼は時間循環に基づいて改元を提言していました。
甲子の年には令が変わります。
戊午の年には天運が変わります。
辛酉の年には天命が変わります。

901年は辛酉の年でしたから、醍醐天皇に改元を提案し、そこから元号は延喜となりました。

辛酉でいえば1861年の文久元年までに17回の辛酉年がありましたが、15回も改元が起こっています。
甲子でいえば、964年に康保になってから、1864年の元治まで16回甲子年がありましたが、15回改元しています。

こういった時間循環だけでなく、方位などの吉凶もあり、当時の平安京はこのような儀式の数の多さで相当慌ただしかっただろうと思われます。
爪を切ったりお風呂に入ったりなどの日常的なことも吉凶に従って行っていましたからね。

そんな時代でしたから見えない世界に関する役割はとても多かったことでしょう。

昔の人はそのような儀式を大切にしていましたが、そういうこともあり、京都はこれだけ長い間都市でいられたというのも事実です。
見えない世界の影響というのは想像以上に大きいものですから、関心を持たれた方はぜひ一緒に学んでいきましょう。


これからも良い記事を書いていきます。