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地位を失っても

比叡山で悩み続けた最澄です。

一体彼はどのようなことがあって、そこまで比叡山にて悩み続けることになるのでしょうか。

767年、近江国にて渡来人の有力農民だった三津首百枝の子として最澄は生まれました。

元々優秀で、7歳で陰陽道や医学、工芸を学び、わずか12歳で近江国分寺に入りました。

12歳でエリートコースに入るわけですが、当時の役人は家柄が重要で貴族出身でなければ出世できません。
しかし、僧侶ならば実力主義ですから、能力が上がれば出世できます。

一族の期待も背負い、最澄は15歳で僧侶になります。
19歳で難関を突破し、東大寺の僧にまで上り詰めました。

エリートコースの真っ只中、3ヶ月後の785年、最澄は突如比叡山に籠もってしまうのです。

これほどまでの高い評価を捨てて、下手をすれば法的な制裁をもありうる決断をしたのです。

最澄は堕落した仏教に絶望したのです。
当時は道鏡事件が解決したばかりの頃でした。

僧侶たちは俗世に対する欲が強く権力や政治への口出しも行っていました。

思い描いていたのとは違う仏教の有り様に悩んでいた折に、東大寺に鑑真が持ち込んだ天台密教の経典を見つけました。

心の動揺を止め、真理について深く観る
止観の修行について説いていたわけです。

最澄は比叡山に籠もり、求道していくこととなったのです。

エリートコースを失いますが、最澄のその後の活躍は歴史が物語っています。
見えない世界のことを極めていくことで現実的にもプラスになるのです。
興味のある方はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。