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日本の大麻を守った「大麻取締法」

日本の大麻


かつて、日本人の生活の礎として存在していた「繊維を採るための、農作物としての大麻」の存在は、現代ではすっかり忘れ去られてしまいました。


現代では、一般的に「麻」といえば、大雑把に植物の繊維のことを指し、消費者庁の定める「家庭用品表示法」では、麻は「リネン」と「ラミー」に限定されています。

そして、「大麻」は、危険なドラッグの代名詞として使われるようになりました。




大麻取締法


「大麻取締法」といえば、大麻を違法な薬物として規制する法律として広く認識されています。

大麻取締法

大麻取締法(たいまとりしまりほう、昭和23年法律第124号、英語: Cannabis Control Law)とは、大麻の所持、栽培、譲渡等に関する日本の法律である。

昭和5年(1930年)の旧麻薬取締規則以降、「麻薬」と認定して取締り対象にしていた大麻、その吸引可能部位を含む大麻草の栽培を免許制にした。


『日本の大麻を守った「大麻取締法」』という本記事のタイトルを見て、一体なんのことだと疑問に思う人の気持ちはよくわかります。

現代においては、たしかに「大麻取締法」は、大麻を違法な薬物として取り締まるための法律として機能しているからです。

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しかし、このタイトルには、日本の大麻を取り巻く歴史が関係しています。

簡潔に要約すると、大麻取締法は、元々は戦後GHQが下した「種子を含めて大麻草を絶滅せよ」という命令に、当時の日本政府の持てる全ての知識と力を結集し、粘り強く抗議して勝ち取った、大麻を絶滅させないための精一杯の措置だったのです。

以下、大麻規制への歴史を、時系列的に追っていきます。




大麻取り締まりのシード期(1910~1920年代)


今から100年以上も前の話です。
1912年に、オランダのハーグで行われた「第1回国際アヘン会議」で、向精神作用のある「インド大麻(マリファナ)」の問題が提案されました。


1925年にスイス・ジュネーブで開催された「第2回国際アヘン会議」では、国際アヘン条約が締結され、インド大麻(マリファナ)の規制が始まりました。


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そのころ(1930年代)の日本では・・・


国際アヘン条約の流れを受け、1930年には日本でも「麻薬取締規則(内閣省令第17号)」が制定されました。
この際、モルヒネ類、コカイン類、コデイン類、コカイン、インド大麻及びその樹脂が、取り締まり対象として規定されました。

しかし、「繊維を採るための、農作物としての大麻」は、木綿や絹と同じように認識されていたため、インド大麻(マリファナ)とは全く別のものと考えられ、日本の大麻は当規則の対象にはなりませんでした。


\ マリファナと大麻は違いますよね〜 /

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※1930年の日本


1930年は、化学繊維などはまだ存在せず、木綿や絹も高級品なので、大して流通していない時代です。
大麻は成長が早く、育てやすい植物だったので、当時の一般庶民は、大麻布で作った服や肌着、布団を使っていました。大麻は、日常とは切っても切り離せないほど人々の生活に溶け込み、「無いことが考えられない」ほど当たり前のように使われてきました。


現代の生活に当てはめれば、化学繊維の服や、プラスチック、木綿と同じような感覚です。生活から無くなることが想定できないほど、大麻は身近な存在だったのです。

そしてあなたは、木綿(コットン)をキセルに入れて喫煙しようとは思わないでしょう。これと同じように、大麻を喫煙する習慣のなかった当時の日本人は、大麻を吸おうなどとは夢にも思わなかったのです。

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1930年代:アメリカの大麻取り締まり


1932年から、アメリカは大麻を厳しく取り締まり始めます。
「統一麻薬法」という法律で、アヘンとインド大麻(マリファナ)を麻薬と定義。1937年には「マリファナ課税法」を制定しました。


そんなアメリカも、第二次世界大戦中は、方針を180°転換しました。東南アジアから輸入される麻の供給源が断たれたため、麻の繊維を採るために、アメリカ本土で大麻の栽培が奨励されたのです。
しかし、終戦とともに再び取り締まりは強化されました。

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インド大麻(マリファナ):薬用型
向精神作用のあるTHCが多く含まれる

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日本の大麻:繊維型
向精神作用のあるTHCは含まれない

※画像を見ればわかるように、インド大麻と日本の大麻は、見た目からも全然違います。インド大麻は葉から薬品を作りますが、日本の大麻の葉からは薬は作れません。日本の大麻は、糸などにするために、茎(くき)の繊維が大事なのです。



1940年代:戦後の日本


1945年に太平洋戦争は終結し、ポツダム宣言を受諾した日本は、サンフランシスコ講和条約が締結されるまでの約7年の間、アメリカ(連邦国軍)の占領下に置かれることになりました。


GHQは1945年10月12月に、「日本に於ける麻製薬品および記録の管理に関する件」というメモランダムを発行しています。

日本に於ける麻製薬品および記録の管理に関する件

麻薬の定義:アヘン、コカイン、モルヒネ、ヘロイン、マリファナ(Cannabis Sativa L)、それらの種子と草木、いかなる形であれそれらから派生したあらゆる薬物、あらゆる化合物あるいは製剤を含む。


当時の厚生省はこの指令に基づき、同年11月24日、厚生省第四八号「麻薬原料植物の栽培、麻薬の製造、輸入及輸出等禁止に関する件」を交付しました。


しかし、日本人はこの時点でも戦前と同様、向精神作用のあるマリファナ(Cannabis Sativa L)とはインド大麻のことであり、日本で農作物として栽培されている繊維型の大麻は無関係であると考えていました。


正直、かなり牧歌的ですが、日本人は大麻を喫煙する習慣がなかったのに加えて、日本の大麻はTHCがほぼ含まれない品種だったので、「ドラッグ」と認識していなかったのでしょう。
あくまでも、木綿や絹と同じ「繊維」という発想だったのです。

\ マリファナと大麻は違いますよね〜 /

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※1945年の日本



1940年代:GHQ 『大麻は絶滅だあああ〜〜!!』


1946年、GHQは日本の大麻を厳しく取り締まります。

「その栽培の目的如何に関わらず、また麻薬保有の多少を問はず、その栽培を禁止し、種子を含めて本植物を絶滅せよ。」

と厳しい命令が下りました。

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日本の大麻はもともと麻薬を取ることが目的ではなかったのに、このままでは、大麻そのものが絶滅させられてしまうという大ピンチに陥ったのです。


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1940年代:日本政府 『絶滅させてたまるかあああ!!』


GHQから報告を受けた日本政府は、GHQになんとか説得を試みました。

人々の生活に根差し、米と同じくらい日本人のアイデンティティーとなっている大麻を絶滅させることなど、あってはならない事態だったのです。

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何度も何度も、根気強く、事情の説明と折衝を続けたのです。当時の官僚は本当によくがんばりました。


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///  日本の大麻は繊維型です!!! \\\
ドラッグじゃありません!!!



国をあげての再三にわたる折衝の結果、GHQから折衷案が出されました。
1947年2月、連合軍総司令官より、「繊維の採取を目的とする大麻の栽培に関する件」という覚書が出され、一定の制約条件のもと、大麻栽培が許可されたのです。

この時に初めて、日本の大麻を規制する、厚生・農林省令第一号「大麻取締規則」が制定されました。






1940年代:そして大麻取締法制定へ・・・


1948年7月10日、大麻取締法麻薬取締法が、異なる法律として同時に制定されました。

大麻取締法:農作物としての大麻を取扱う法律
麻薬取締法:麻薬類を取扱う法律

農作物としての大麻は麻薬類ではないことを、日本は辛くも勝ち取ったのです。

大麻取締法のおかげで、占領下の日本でも、免許制ではありますが大麻農家を存続させることに成功しました。

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1952年、サンフランシスコ講和条約が発行され、日本は主権を取り戻しました。
占領時の法制について再検討が行われる中、大麻取締法(大麻農家の免許制)の廃止は優先順位が高かったようです。この頃の日本政府は、農作物としての大麻を日本の産業として復活させる気が満々だったのです。

もし、大麻取締法がスムーズに廃止されていれば、今ごろ日本には、米農家と同じように大麻農家があったことでしょう。


ここまでお読みになられた方は、大麻取締法に対する見方が変わったのではないでしょうか。

大麻取締法は本来、GHQの占領下にあった日本が必死に抵抗し、全面的な禁止を回避し、「農作物としての大麻」を守り抜いた証とも言えるのです。

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1960年代:国連 『大麻は麻薬です。以上、解散。』


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1961年に、国連は「麻薬に関する単一条約」を採用しました。

この条約で大麻が指定されていることから、世界的に大麻への規制圧力が高まりました。

この条約の存在が、日本が「大麻取締法」を廃止できなかった大きな理由です。

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1960年代:ヒッピー文化


1960年代には、欧米を中心としてヒッピー文化が隆盛し、マリファナの喫煙が大流行しました。

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この影響は、大麻を喫煙する文化のなかった日本にも波及しました。


大麻農業の保護を目的として制定された「大麻取締法」ですが、大麻が日本人の生活から離れてしまった結果、いつの間にか大麻のイメージが悪化し、当法律は「違法な薬物」を取り締まるために機能するようになりました。

そうして今日に至っています。




このような、現代まで続く世界的な規制の背景と、「大麻=違法な薬物」というイメージは、「大麻」という単語を言いづらい雰囲気にさせています。

しかし、大麻は、本来は日本人のアイデンティティーと深い繋がりを持つ植物なのです。文化に関するお話は、次回の記事にしたためます。


数年前から、「グリーンラッシュ」という大麻合法化の波が世界的に起きているので、最近は日本でも医療大麻に関する話題が増えてきましたね。

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※2021年現在は、日本での大麻の葉の所持は違法です。法律は守りましょう。



少し長くなりましたが、大麻の歴史的な規制の流れが分かったのではないかと思います。このように、歴史的な背景や正しい知識を持つことは、論理的に大麻を理解するためにとても大事なことです。

サークルでは、見えない世界を論理的に説明できるようになるために、ロジックを教えています。メンバー同士で体験談をシェアしながら、日々研鑽を積んでいます。興味のある方は、共に学びませんか。



参考文献:

『大麻という農作物 日本人の営みを支えてきた植物とその危機』
大麻博物館 著

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これからも良い記事を書いていきます。