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小説が咒になる

というものはどのように作られているのでしょうか。

共通している部分もあって、たとえば、法教でバラバラになった魂を戻すために藁人形を使いました。

ここで出てきた咒の意味というものは、今は単なる藁人形かもしれないが、これで人間になれたぞという意味の言葉を伝えるわけです。

これだけ心を込めてよくしたのだから協力しなさいという意味ですから、これはいざなぎ流が使うものとニュアンスが同じなのです。

咒というものは物語のように続いていくものがあります。封神演義などはまさに適していて、ここで出てくる登場人物は神様になっていますから、咒で多く使われることになったわけです。

封神演義の神々を使って、邪悪な存在を退治したり、魂がバラバラになってしまったものを元に戻して病人を助けたりするのですから、彼らを使うのはロマンがありますね。
いざなぎ流の場合は式王子を使って対応しますが、やり方は近いですからね。

神様を呼び出すために印を結ぶことも多くありますが、そういうことが載っているだけでなく、物語そのものが咒として使えるというのは、見事な検閲さばきだと思います。

知っていれば、色々と見えないことについて書いているのだとわかっていても、何も知らなければ単なる小説を楽しんで終わってしまいます。同じ読書でも段違いの効果があるでしょう。
見えない力というものは、世の中を渡り歩く上でとても大きな影響を及ぼします。
自分を良くしていきたいと思う方は、ぜひ一緒に学んでいきましょう。


これからも良い記事を書いていきます。