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式神のメカニズム

人形を用いることで、穢れを取ったり、相手を攻撃したりと、様々な使い方ができることが分かりました。

そもそも紙や木片などに生命を吹き込むというのは、荒唐無稽にも聞こえます。
しかしながら、陰陽道のことを考えれば、決して不思議なことではありません

川に流されていく、流し雛も、わたしたちの一部分だからこそ、その機能を果たすことができるわけです。要するに分身なわけですね。

呪いに使う人形にしても、相手の魂を人形に込めることが可能だからこそ、釘で打ったり、焼き払ったりすることで、相手にダメージを与えているわけです。

この考え方を突き詰めれば、無生物に自分だったり他人の霊力を込めることで、使用するということは、決しておかしなことではないと分かります。

オリジナルの形代もあります。

これらの共通点として、無生物に魂を込められたものが、その目的が果たされれば元の無生物に戻ってしまいます。
逆に護法神と言えるような式神の場合は、ある意味では生き物ですから、異界から出現してことをなします。

安倍晴明は十二神将を使役していましたが、奥さんが恐れたのでこの十二神将は橋の下に住まわせていました。
彼らはある意味では、生き物として扱っているわけです。

よく式神は相手に破られてしまった場合、自らに害が及ぶということが言われます。
これもあ当然で、術が解けたら、一番憎む相手であろう術者を襲うということになるでしょう。
呪いの恐ろしさとはそういうところですね。

一見、オカルトに聞こえるような話であっても、実際には細かく考えていくことで、決しておかしなことではないと分かると思います。
単に技法を真似するだけでなく、それに伴う背景の部分も合わせて学ぶことによって、現実的なものだと分かったでしょう。
理論の部分を含めて学びたい方は是非一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。