道鏡VS淳仁天皇
上皇様に取り入り、国をも乗っ取る勢いだった道鏡。
もちろん、そこにいきつくまでは、一筋縄ではありません。
メキメキと頭角を現していた道鏡に対して憤っていたのは淳仁天皇でした。
太政大臣の藤原仲麿はそれをなだめます。
相手は孝謙上皇様からの信頼を勝ち得ているのですから。と。
藤原仲麿は皇族以外で初めて太政大臣になった人物ですから、政治の一切を仕切っていましたし、淳仁天皇は、仲麿の操り人形でしかありませんでした。
天皇でありながら思う様に権力が握れないことに苛立ちを覚え、道鏡を非難したことで、上皇様の怒りを買ったばかりだったので、なだめるのが大変だったと思います。
仲麿は自己保身もありますから、天皇にも上皇にもうまく関係を維持する立ち回りを行いました。
仲麿は正一位という最高位を手にしました。
しかも上皇様からです。
仲麿は上皇派だということにショックを受けた淳仁天皇でした。
その後、上皇様は出家するも、国家の重要な決定は自ら行うと詔を出したのです。
事実上の淳仁天皇が権限を失うということです。
しかも、仲麿は追いたてられて、殺害されてしまうのです。
淡路島に流された淳仁天皇は、憤死します。
道鏡には天皇や太政大臣らの牽制も跳ね除け、徹底的に反対勢力をつぶしました。
こういう国家を揺るがしなねない様な歴史の重大な人物さえ、あまり授業ではあっさりとした扱いです。
見えない世界のことは隠したいのです。
邪魔になりそうなものはいつの時代も徹底的に芽を摘んでおくのでしょう。
そういう隠蔽に立ち向かっていきたい方は一緒に頑張りましょう。
これからも良い記事を書いていきます。