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最澄のカリスマ性

エリート街道を進んでいた19歳の最澄はそこからその地位を捨てて、比叡山に籠もりました。

そこから、12年もの間、比叡山で修行を重ねました。
20代全てを捧げたのですから、大きな覚悟がありました。

多く修行者たちは山林修行では超能力の様な力を求めます。
最澄の場合は、心の動揺を止めて、深く観るという止観の修行に明け暮れました。

仏の声を聞き、天台密教の真理を知るために修行をしたのです。

しかし、それだけの厳しい修行をしているのですから、力は得ました
香炉の灰の中から、仏舎利と黄金の骨壺が出てきたりと奇跡も起こしました。

元々は脇目もふらずに修行をしていくはずでしたが、そんな最澄にはどんどん修行僧や同志が集まってきました

そして、最澄の人を惹きつける力は時の権力者にまで及びました。
桓武天皇でした。

権力の腐敗した奈良を見限り、平城京から長岡京、そして、次の遷都として京都を候補に選んでいたわけですが、京都の鬼門にあったのが比叡山だったのです。

聖なる比叡山の護りを固める必要があったのですが、都合よく修行に励んでいた最澄がいたというわけです。

これにより最澄も世の中と交わる頃になったと理解したのでした。

見えない世界への努力というものを続けていたことで、人を引き寄せた最澄でした。
見えない世界のことを極めていくというのはそこで完結するものではありません。
見える世界にも大きく影響します。
そういうことに関心のある方は一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。