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努力の天才への誓い

比叡山に坐している19歳の若者は悩み、うめいていました。
わたしはなんてつまらない愚かな人間なのかと。

そんな悩んでいる若者の名前は最澄
後に歴史に名を残す僧侶です。

悩んではいますが、それをバネにします。
愚かだからこそ、修行を積んで少しでも悟りの境地に近づくのだと。
六根相似の位になるまでは、脇目もふらずに修行するのだと決めます。

六根相似というのは、仏教修行には六段階あるのですが、その四段階目の域のことです。
ここまで到達できれば感覚器官が相当研ぎ済まされます。
三千世界というものが認識できるようになりますし、仏というものにかなり近い状態だと感じられるでしょう。

もちろん、そんな境地ですからけっして簡単なことではありません。

しかし、決意は固く、そこに到達できるまでは山を下りないし、世間を救おうとか大それたことも考えないと誓いました。
愚かで最低な人間なので、そこまでしなければダメなのだと。

自己肯定感の低さというのには驚きますが、厳しい自己反省の果てに、大変で厳しい道を選んだということですね。

最澄でさえも、最初は自らの愚かさに悩み、修行に励んできました。
見えない世界についてやっていくというのは、それほど大変なことです。
しかしながら、最澄がそうだったように、感覚を磨いていくことで多くの功績を残しました。
大変ではありますが、見えないことをやっていきたいという方はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。