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最澄の躍進と暗雲

最澄は遣唐使として船に乗りますが、4隻中、2隻しかたどり着けませんでした。
(空海は第一船、最澄は第二船でした。)

たしかに暴風が吹いたのですが、香春明神が危機の際には光を出して助けると約束してくれた通り、海上に光が現れて乗り切ることができました。

到着した最澄は天台山に向かい、大勢のスタッフを集め、その経典を書写していきました。

1年も経たないうちに天台の奥義をことごとく習得しました。
さらには、帰国前の短い間に密教まで学びました。

805年、桓武天皇が病に倒れました。
恩人である桓武天皇のために密教の秘宝である病気平癒の祈祷を行なったのです。

ただ、最澄には大きな問題がありました。
留学先で密教について学びはしたものの、エリートだった最澄は、空海や役小角のような荒業を経験していませんでした。

根っからの密教修行者ではなかったのです。
最澄の山修行は天台仏教の止観だったので、そもそも目的も違いました。

前行とも言える修行がなかった最澄は密教の真髄までは習得できておらず、天皇を助けることができませんでした。

空海が密教の奥義を身につけて留学から帰ってきたのはそんな折でした。

空海はまだ無名でしたが、そんなことは気にも留めず、最澄は年下の無名の僧に密教の教えを乞うのです。
エリートの最澄が教えを乞うという事態に、空海の名声は一気に広まったのでした。

見えない世界のことがすぐできるなんて吹聴しているところが多いのはいつも首を傾げます。
歴史を少し学べば、そんなことはないということが分かるでしょう。
基本的なことを部分的にやるくらいならできるかもしれませんが、最終的な奥義までやろうと思ったら途方もない努力が必要です。
見えない世界とその背景にある理論を学ぶのですから大変ではありますが、見えない世界についてきちんと学びたいと考えている人はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。