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【卓球】他校のエースの頑張り。育英三浦君と三田学園貴戸君ー2002年兵庫県総体ー

前回の記事で、団体戦のレギュラーに抜擢されておりながら、期待に応えられず、レギュラーから外されたことを書いた。

今回は、同じ兵庫県総体、インターハイ予選でのシングルスの結果について書きたいと思う。


僕は、神戸市須磨区西落合にある神戸市営住宅に住んでいた。つまり団地で、ちなみに54号棟である。

滝川第二高校は神戸の西側の端っこ。明石市近くの西区にあり、僕は寮に入らず自宅から通学していた。県外から来た部員や、兵庫県でも自宅から通えない部員は寮に入っていた。

自宅からの部員を自宅生。寮からの部員は寮生と呼ばれていた。

当時、自宅生は、3年生の藤本雄大さん、植本剛さん、2年生の井本有治さん、そして1年生のてるいだった。

雄大さんは、変える方向が逆だったが、剛さんと井本さんは同じだったので、一緒にチャリンコで帰ることが多かった。


兵庫県総体前に組み合わせが決まった。(組み合わせは後ほど出ます)

シングルスの感想としては、「チャンスだ!雄大さんと、藤森君(東洋大姫路)と逆パートになった。順調に行けば、代表決定戦で剛さん。もし負けたとしても、林さんか西田さん(共に滝二)だから、チャンスある!」

※兵庫県は登録人数が多く、代表6名。

「ベスト8決定戦、育英の三浦君との試合を乗り切れば、インターハイに出るチャンスが十二分にある!」と言うのが、組み合わせを見ての感想だ。


学校からチャリンコで西神中央駅まで帰りながら、剛さんと「代表決定戦で勝負ですねー。もし負けても、互いに代表なりましょうね。」みたいに話をしていた。

井本さんとは特に話した記憶がない。失礼ながら、井本さんは、雄大さんと藤森君がいる激戦パートに入ってしまった為、代表になれるとは思っていなかったのだろう。(井本さん、すみません笑)


そして、2002年6月7日(金)に兵庫県総体が開催された。団体から始まり、ダブルスの代表が決定。最後にシングルスの代表が決まるスケジュールだ。

今回は、シングルスについて書きたいと思う。(ダブルスは次回書きます。)

3回戦で、2年生の上西さんと、藤森君が対戦があった。実力者同士のここでの対戦は、早過ぎる。結果的に3-2の激戦で藤森君が勝った。

普通であれば、先輩の上西さんを応援するのだが、僕は素直に応援していなかったと思う。

藤森君とは、小学5年生で初対戦してから、試合会場で仲良くしてくれていた。身体は小さいけど、お兄ちゃんみたいな感じだったのだ。

そして、藤森君の実力を評価していて、藤森君の強さを全国の皆に知ってもらいたいと思っていた。この感覚は、玉野光南の松山君や、近大福山の堀田君対してもそうだった。

イメージとしては、デビュー直後から知っていて、まだ売れていないアイドルを応援しているような感じだ。まだ全国で活躍していないが、活躍できる実力のある選手。その実力を全国大会で発揮して欲しい、という気持ちだ。

なので、ここで藤森君が負けてしまうと、インターハイに出られない。=推しているメンバーが、メジャーデビュー出来ない。

その為、上西さんを素直に応援できなかったのだ。

あとは、この2人が逆パートだったというのもある。対戦するのは、代表が決定した決勝戦しかない。

これが、同じパートであったら、「上西さん勝ってくれー!!!」と思っていたはずだ。

「なんだか、てるいは先輩思いでないなー」「てるいひどいなー」と思うかもしれないが、「当たり前だ!俺の結果が一番に決まっているだろ!」と言いたい。先輩なんか関係なく、自分の勝利が一番なのだ。

上西さんが出てくる記事はこちら↓



確か、ここまでが2日目で、姫路市立中央体育館で行われたと思う。調べると今は、ヴィクトリーナ・ウインク体育館という名前らしい。

15年以上前から、全日本ホカバは、グリーンアリーナ神戸で行われているが、その前までは、この姫路市立中央体育館で行われていたので、30代の方は、皆覚えているだろう。

3日目からは違う体育館で行われた記憶がある。この体育館だっただろうか。(覚えている方がいたら教えて欲しい。)


僕は、順調に勝ち進み、勝負所であるベスト8決定戦の、三浦君(育英)と対戦した。

三浦君は、右ペン表で、確かヨーラのタンゴを使い、めちゃくちゃ金属音スマッシュを鳴らしていた。技術的にはそんなに高くないが、フォアの金属音スマッシュは強力だった。

団体戦で育英は、準決勝で東洋大姫路に勝利。決勝で滝二に負けるも、反対側でベスト4の三田学園とのチャレンジマッチに勝利し、初めてのインターハイ出場を決めていた。その育英のエースが三浦君だ。

僕は、三浦君よりも強い滝二の先輩達に勝つ自信はあったが、三浦君に対しては、「勝負は、五分五分だな、、、」と思っていた。もちろん大会前も三浦君をイメージして練習をしていた。


同じベスト8決定戦で、剛さんは、貴戸君(三田学園)との対戦となった。貴戸君は、右シェーク裏裏で、派手なプレーはないが、粘り強いプレーが出来る選手。3回戦で、宮崎君(東洋大姫路)に勝利して勝ち上がってきていた。

ベスト8決定戦は、各台同じタイミングで行われる。

三浦君との試合は接戦だった。当時の僕は、まだまだコースを突くプレー、打点の早いプレーが出来なかった。また、チャイラバにも出会っていない。

フォアストレートを狙うことが出来ず、どうしても相手のフォアへのドライブが多くなってしまう。そうなると、三浦君得意の金属音スマッシュが炸裂する。

ペン表にスマッシュを打たれたとしても、台から距離を取り、回転量の多いドライブで引き返せばいいのだが、まだそこまでの技術がなかった。また、回転量で、表のラケット面を崩すというプレーも出来る技術がなかった。

僕は、まだまだ中学上がりで、ノーマルな右シェーク裏裏だったので、相手としてはやりやすい戦型だったと思う。

つまり、真っ向勝負で、三浦君と戦っていたのだ。


試合をしながら、他の試合にも目が行く。「自分の試合だけ集中しろ!」という監督もいるが、「他の試合も気に出来る余裕があるんだからいいでしょ」というのが僕の考えだ。

ふと見ると、予想外に剛さんが貴戸君に苦戦していた。予想通り、井本さんは、雄大さんに普通に負けていた。

「あれ?剛さん負けちゃうの?」と思いつつ、目の前の試合に集中した。


三浦君との試合。内容は全く覚えていない。ベンチに誰かが入ってくれていたのかどうかも記憶にない。

結果的に、負けた。1-3で負けたような気もするが、記録を見ると2-3負けだったようだ。

その前に、剛さんも貴戸君に1-3で負けた。

「2人で勝負ですね!」とか言っていたのに、三浦君と貴戸君に負けたのだ。どちらもインターハイに出られない。

試合後、互いにショックを受ける、てるいと剛さん。「なんすかこれ、、、勝負しましょう!とか言っていたのに、2人とも負けるなんてめちゃくちゃダサいすね」みたいね話をした記憶がある。

結果はこちら↓

3図


その後、三浦君が貴戸君に勝利し、ベスト4で代表。貴戸君は、代表決定戦で林さんに負け、代表を逃す。試合後、「林さんおいしいなー」と皆でいじった記憶がある。

藤森君は、準々決勝で雄大さんとの、事実上の決勝戦を勝利し、そのまま優勝。

同じ1年生で唯一ベスト8に入った渡辺は、雄大さんとの代表決定戦。じつは、神戸市総体では、渡辺は雄大さんに勝って準優勝だったので、僕は焦っていた。

「おい!ナベ(渡辺)が勝つのはやめてくれ!雄大さん頑張ってくれ!」と思っていた。渡辺は小学生からのライバルだ。先にインターハイ代表となるなんて悔しくて仕方がない。

結果、エースの意地を見せた雄大さんが勝利し、代表権を獲得した。


結局、シングルスの代表を獲得したのは、

藤森(東洋大姫路)、西田、岡田(滝二)、三浦(育英)、藤本、林(滝二)という結果になった。

本当は、三浦君の位置に僕がいるはずだったのだが、、、

「あーやっぱり、簡単には勝てないよなー」と思った高校1年生の兵庫県総体であった。

団体レギュラーから外れる、シングルスでの代表を逃す。この結果から、僕がその後、全日本ジュニアベスト8に入るとは、僕自身、周りも、全く想像していなかっただろう。


しかし、その後から、てるい少年は確実に一歩ずつ成長していくのである。練習では気付かないのだが、試合をする度に、自分の成長を感じていくのだった。

一応、次回は、ダブルスの結果を書きたいと思う。




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