スポーツ業界に携わりたいと思ったきっかけと今後のビジョン🏟️
これは「#10年後にスポーツ業界を盛り上げる若者たち のAdvent Calendar 2023」の12日目の記事です。
昨日は笠原優人さんの「サッカークラブと地域のつながり」の記事でした。Jリーグと地域との関わり、JAPANサッカーカレッジ、アルビレックス新潟の話、もっと詳しく聞いてみたいです!
さて、12日目の記事は嘉正照波(かしょうてるは)が担当します。
テーマは「スポーツに携わりたいと思ったきっかけと今後のビジョン」です。
殴り書きのように書いた文章ですので、お見苦しいかと思いますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。(本当に長い)
1. はじめに
自己紹介の前に…
10月頃から、GLOWの運営に少しだけ携わらせていただいています。
(といっても、卒論・授業でまっっっっっっっったく力になれていません…卒論終わったら頑張ります!!!!)
GLOWの交流会(オフライン・オンラインともに)を通して、色々な方に関わることができる機会が増えました。
そんな中で、
「なんでこの人はスポーツに関わりたいと思ったんだろう」
「なんでスポーツに携わりたいと思ったんだろう」
目指すところは違っても、同じ志を持った人たちのことをもっと知りたい!といつも思っています。
ただ、短い交流会の中では一人一人の濃いお話を聞くことができないので、アドベントカレンダーで知れたらいいな…と思っていました。
と思ったけど、みんな書くことがかっこよくて、すごいことばっかりで(笑)
卒論が終わったら、みなさんと面談させてもらえたらなと思っています。
そんなこんなで、人のこと知る前にまず自己開示から!
と思ったのと、卒論で学術的なことばかり考えて、堅苦しい文章ばかり書いて…嫌になりそうなので、たまには思想的なことを存分に書きたいと思います!
(自分自身の原点回帰のためでもある)
2. 自己紹介
名 前: 嘉正照波(かしょうてるは)
出 身: 愛知県
所 属: 立命館大学産業社会学部スポーツ社会専攻4年
スポーツ経験 :剣道(幼児👶〜小学校低学年)
ソフトボール(小学校3年間)
バスケットボール(小学校2年生〜)
興味分野:地域活性化/スタジアム/プロスポーツ/イベント
自己紹介で何を話せばいいか分からない(笑)
ここからは、私がスポーツに携わろうと思ったきっかけを5つのターニングポイントで整理して話します。
前提として、私は父が体育教師ということもあって、小さい頃から嫌でもスポーツと関わってきました。家族全員スポーツをして、兄と姉は父の運動神経抜群の遺伝子を引き継いで運動神経抜群!!
一方の私は、運動神経悪い、鈍臭い、運動嫌い…(笑)
中学生までは、スポーツが嫌いでした。スポーツに対するイメージは
「しんどい」「運動神経のいい人が楽しいもの」でした。
3. 5つのターニングポイント
中学生まで、どちらかというとスポーツが嫌いだった私ですが、高校生になり、大きな転機がいくつかありました。
①高校の部活・進路の決定
高校では、バスケ部に入り、とにかく部活漬けでした。高校ではバスケ部に入るつもりはなかったですが、父の後押し(強め)とカッコいいウィンブレに憧れて(笑)入ってしまいました。
地区予選で勝ち進めるか…みたいなチームでしたが、先輩の代から県大会には当たり前にいけるくらいにまで強くなりました。初めて、努力が報われる経験をして、勝ちたい、勝てるから楽しいという感覚を覚えました。
チームメイトには、とにかく恵まれていました。先輩も同級生も後輩も、みんなカッコよくて、一緒にバスケができて幸せでした。
思い出したくないようなことも、嫌なことも、辛いこともたくさんあったけど、それ以上に得たものが大きすぎました。
(これだけで一つ記事書ける😅)
部活を引退して、本格的に進路について考えた時、自分がこれまでしてきたことを考えたら、「バスケ」しかありませんでした。
というのも、自分は「国際英語科」にいて、3年間クラス替えがなく、英語の授業・生徒の個性強めのクラスにいました。周りを見渡せば、留学に行く子や、高校生だけど大学生みたいにプロジェクトをやっている子、言葉で軽々しく言えないぐらい、いい意味で「ぶっ飛んだ」集団でした。
入学した時は、なんとなく英語が得意で、漠然と「英語を使った仕事」と言っていましたが、それだけじゃダメで。
英語(国際)+なにか強みが必要でした。
高校3年間で、何度もプロジェクトを考えたり、プレゼンしたりする機会があったのですが、今思い返すと、女性活躍推進→多様性→障害者スポーツ→スポーツで国際貢献って感じで興味分野が変わっていました。
以下、なんか残ってた当時のプレゼン資料(笑)
自分の周りには高校卒業時点で、将来のビジョンがはっきりした人ばかりでした。
この個性がすごすぎる集団の中で、自分にしかないもの…
スポーツだ!!!!
ポジティブに言えばこんな感じですが、どちらかというと、
「こんだけ部活に時間費やしてきたのに将来に活かせないの無理!!!!」
っていう投げやりな部分もありました。大学でやっていけるほど、競技に対しての熱はなかったので。
この高校3年間の部活とクラスでの経験を経て、スポーツに関わる仕事をしよう、スポーツで世界を変えようと思うようになりました。
1だけでどんだけ長いねんっていうツッコミをしっかり受け止めて、次へ。
②テレビで見たラグビーW杯2019日本大会
受験期、ちょうど日本でラグビーW杯2019大会が開催されていました。
ラグビーには全く興味がなく、
ラグビー好きの方には大変失礼ですが、ラグビーの熱苦しい感じとか、痛そうな感じとか、スクラム組んで、今どうなってんの…?みたいな…
正直何が魅力なのか分かりませんでした。
どういう経緯でとか、どういうシチュエーションで、とかははっきり覚えていませんが、塾から帰ってきてテレビで流れる「試合の好プレー集」、「観客が熱狂する様子(にわかファン)」、「ノーサイドの精神」、「復興を掲げた釜石での大会」こんな感じで、大会の特集を見て涙を流していました。
今でも、母にこの時のことを聞くと、「なんで泣いてたかわからんけど、ラグビーのハイライト見て泣いてたね(笑)」って言われます。
この時に、
自分が競技するだけではない「スポーツの魅力・社会を変える力」を強く感じました。
③コロナ禍の大学生活、「国際貢献」から「地域活性化」へ
第一志望の大学には落ちたものの、いろいろな志を持って、立命館大学産業社会学部スポーツ社会専攻に入学しました。
スポーツに関して、科学的にではなく、社会学的に研究したかったのと、行きたかった大学からたまたま移動してきた今のゼミの先生を目当てに、この学部に決めました。
大学生活はコロナ禍でのスタート。
本当に地獄でした。(これだけでも記事書ける😔)
2年間は可もなく、不可多めの生活でした。
大学入学時はまだ国際的な視野を持っていたので、「国際貢献」をしたいと思っていましたが、日本から出られない、人との関わり皆無の中で、外へ出ていくモチベーション(シンプルに語学に対するモチベーションも)はなくなっていきました。
そんな中で、「スポーツと地域活性化」という新たなジャンル(?)に出会いました。(これだけで記事書けるから割愛!)
海外に出ていく前に、日本のことをもっと知らなきゃいけない。
日本をもっと元気にしなきゃいけない。
また、この時期に祖母が病気で倒れ、もっと家族孝行しなきゃいけない、と思うようになりました。
自分は、地元に思い入れがなかったですが、父や祖母が育ったかつては栄えていた地元を、いつかスポーツで元気にしたいと思うようになりました。
ここから、基礎演習やプロスタ(ゼミの練習みたいな小集団授業)で、好きなテーマについて、レポートを書くときは「国際貢献」だったのが、「地域活性化」へと変わりました。
細かなきっかけはもっとあったと思いますが、書き出したらそれだけで記事書けてしまうので(汗)
ここまでで、とんでもなく長い、まだ読んでくれている方ありがとうございますm(_ _)m
④ゼミでのスタジアム研究
3年生からゼミが始まりました。
メガ・スポーツイベントやスポーツ政策、スポーツと地域活性化など、幅広い興味分野の人が集まるゼミです。
4年生では個人で卒業論文を書きますが、3年生ではグループで報告書(共同執筆の論文的な)を書きました。
ゼミ全体のテーマは「ラグビーW杯2019大会」4つのグループに分かれて、釜石、熊谷、神戸、東大阪、それぞれの開催都市とスタジアムについて調査しました。
私は高校時代から興味のあった釜石について調査しました。
釜石市のスタジアムや開催経緯に関しては、今回は書きません。
いつか記事にできたらなと思いますが、気になる人は調べてみてください。
文献調査から起こった問題意識は、
「民営化しないのはなぜか」
「赤字のスタジアム、黒字にするためにどうするか」
「現地の人はスタジアムを利用しないのだから、必要なかったのでは」
こんな感じでした。
文献だけでは明らかにできない問題意識を持ちながら、現地にインタビュー調査に行きました。
本当に本当に遠かった…。物理的な距離もですが、交通インフラも整っているわけではなく、海外旅行か…というくらい遠かったです。
スタジアムを見る前に、「いのちをつなぐ未来館」という震災伝承施設に行きました。震災の被害、当時の生々しい被害の映像を見ました。
なんとも言えない感情で、スタジアムに向かいました。
写真で見るのとは全く違う、スタジアムの佇まいに、胸を打たれました。
そして、釜石市の職員の方へのインタビューでは、スタジアムや復興を掲げた大会招致への熱い思いをたくさん聞かせていただきました。泣きそうになりながら、話を聞き、自分たちの思いを伝えたのを覚えています。
インタビューをする前に持っていた問題意識は、「外から見た、たった一部の視点でしかない」ことに気が付き、インタビュー調査の面白さ、研究の面白さに気が付きました。
同時に、釜石が特殊な例だったとしても、スタジアムが収益を追求するばかりの存在でなくても良いのではないか、と思うようになりました。
ここも話し出すと長くなるので割愛しますが、釜石鵜住居復興スタジアムはそこにあるだけで、何かの「象徴」で「価値のある」スタジアムであり、簡単に外部の手で収益を生み出すものに変えて良いわけではない。
じゃあこの価値を守るために、何が必要か、何ができるのか、これを研究にしよう。
ということで、
「釜石鵜住居復興スタジアムの今後-「復興の象徴」を未来に継承するために」というテーマで4人で報告書を完成させました。
ここでのスタジアム研究が、今の興味分野や研究テーマの中心になりました。
⑤Bリーグクラブでのインターン
いよいよ5つ目!
(ここまで読んでくれた人いないんじゃないかってぐらい本当に長い)
大学3年生の夏から1シーズン、Bリーグクラブでインターンを経験しました。
(ここでの話も長くなるから詳しくはしません、もうすでに長いけど)
チケットやイベントの企画、そのほかにも色々な経験をさせてもらいましたが、そんな経験の中で気づいたことは、
現場で走り回っていたい
お客さん(観戦者)の顔が見れる場所にいたい
裏方で支える人をリードしたい
ということです。インターンの経験からだけではないですが、企画をするのが好きと思っていたのが、スポーツ観戦以外での価値(会場に来て感じるホスピタリティ)を提供できる人になりたいと思うようになりました。
スタジアムやアリーナ、そのワクワクする空間をソフトの面で支える人になりたいと思っています。
4. 今後のビジョン
この5つのターニングポイントを経て、今後のビジョンを簡単にお話しします。(本当に長い)
2024年3月に大学を卒業しますが、そのまま立命館大学大学院社会学研究科に入学します。
大学院の進学は、大学受験に失敗した時からなんとなく決めていましたが、コロナ禍での大学生活で不完全燃焼だったこともあり、現実になりました。
大学院に行く、というと「文系なのに?何するん?」と必ず言われます。
(これについてもいつか話したい)
院試の時に研究計画書も一応出しているのですが、自分はざっくり「スタジアムやアリーナと地域活性化」について研究します。おそらくBリーグのアリーナについて研究します!
大学院修了後は、研究職ではなく、普通に一般企業に就職するつもりです。
どんな職種かは、一旦置いておきます!
あまり良くないことかもしれませんが、自分はこれまでも、将来のビジョンが明確にあってそれに向かって行動するというよりかは、これまでを振り返って、近い未来について考えることが多いです。
正直、行き当たりばったり…(笑)
なので、これからどうなるのかわからないし、あまり深く考えていません。
とりあえず今は卒論を終わらせること、教職免許を全てもぎ取ることを目標にあと1ヶ月半、走り切ります(汗)(汗)
ちなみに卒論は修論とはあまり関連させず、ざっっっっっっくり「Wリーグの運営形態」について研究します!また完成したらどこかで発表します!
5. 最後に
本当に本当に長くなりました。
こんなに文章が書けるなら、卒論早く書いて〜〜〜(自分へ)
自分について振り返ると、色々と見えてくるものがあります。
他の人の「スポーツ業界に携わりたいと思ったきっかけ・今後のビジョン」も聞きたいです(切実)。
社会学でスポーツを対象にすると、意地悪な教授に「なんでスポーツなの?スポーツって、なくてもいいものじゃないですか」と必ず言われます。
面接でもしっかり言われました(笑)
自分の周りはそうじゃないから気付きづらいですが、スポーツが嫌いな人、全く見ない人って普通にたくさんいて…。
みなさんのスポーツに携わりたいきっかけから、答えのない「スポーツの価値」「スポーツにしかないもの」のヒントを見つけられたらな、と思っています。
最後になりましたが、大変読みづらく、長ったらしい文章を読んでいただきありがとうございました。コメントや感想お持ちしております!
明日は「中山美和」さんの記事です!お楽しみに!
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