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桜基公園

この園内には、一基の塚と老桜樹がある。鎌倉時代の伊那谷には関東の防衛線が置かれ、この地、野田谷村(万場、柿野)には関東武士豊島氏が存在した。塚はこの武士団が築いた記念塚であり、傍らに一本の桜樹が植えられたと伝へられている。桜樹は既に二代目のもので樹齢も二五〇年を経ており、樹種はヒガンザクラ(エドヒガン系)花は優美で、古来より詩歌に読まれ、園内には「むささびの尾風にも散る桜哉」の玉峰の句が刻まれている。学制による「桜基小校」もこの地に校名をとり幾世代の学童もこの桜と共に育った。昭和一五年泰阜学校同窓生は資金を募りこの地を永く保存されることを願って碑を建立した。
昭和63年3月22日
泰阜村教育委員会

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