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【過去編】カナダでワーホリ① トロント

ミュージシャンになりたい田舎育ちの青年は
カナダに渡った。

長年の(といっても3年だが、20歳から23歳はわりと長い)夢である留学がついに叶う。

関空を出て浦東(上海)で乗り換え、トロントに向かう。

2回目の海外だ。
専門の先輩がロサンゼルスに住んでいたので住込み生活2年目の夏にロサンゼルスを訪れた。1週間の滞在でサーフィンをしたり、車をレンタルしてラスベガスに行ったり沢山良い思いをさせてもらった。当時は完全受け身で訪れ、色々任せてしまっていたので申し訳なかったと思う。感謝してます。

さて、そんな訳で実家を出てから30時間程経っただろうか。現地時間19:55 ようやくトロントに降り立った。

最初の2ヶ月はホームステイを申し込んでいたので、家まで向かう。空港を出てしまうと道中地下鉄以外はWi-fiが無くなり、とんでもない事になるのでマップのスクショを撮り溜め、バスターミナルへ向かった。

バス⇒地下鉄⇒バス⇒徒歩⇒家で1時間ちょっとかかり無事到着した。
ホストファミリーに挨拶を済ませ部屋の案内やキッチン・食事などの説明を受けて自室に戻る。

長旅の疲れはあるが、機内でたっぷり寝たし時差もあって寝れない。結局1時間半しか寝れず、学校に向かう。体調は優れない。

このスケジュールをコーディネートした人は時差を舐めた全く行き届いていない人か、
もしくは数日間ホテルで気ままに過ごし、現地の様子を知りながらゆっくり時差ボケを直す資金なんて無く、すぐに学校に入り英語を学び、ASAP(as soon as possible=なるべく早く)で仕事をゲットし働く必要があるかの両方だろう。

学校は家から1時間ほどかかる。電波難民だったが、ホストファミリーの長男の職場から近かった事もあり案内してくれた。ありがたい。1日目のスタートだ。

学校・仕事・出会い

この学校は、週ごとに期間を選択でき、自分は10週間で申し込んでいた。

自分と同じように今日入る生徒が他に2人いて、一緒に説明を受け、選択式のテストをした。
結果は翌日には分かり、それにより6段階のレベルに分けされたクラスのどこから始めるかが決まる。
1番下からだった。
京都のシェアハウス生活でのコミュニケーションはテンションとニュアンスで何とか伝わるそれだったようだ笑

クラスに日本人は3人ほどいた。学校全体では10人未満で、全体で60人ぐらいの生徒がいた感覚だ。

学校内は英語以外の言語の使用が禁止なので日本人とも英語で話す。これは良いルールだ。というかそうでないと困る。外に出れば日本語で話す事もある。
伝わらないもどかしさはないし、人種のモザイクとも言われるほど、多文化・多民族が共存しているトロントで、自分が日本人であることやルーツみたいな事を日本人と話すことでも感じた。

週ごとに生徒が入れ替わるので出会いと別れの連続だった。ホームステイも良い家族だったが、学校から遠い事と、食費などを考えたら近場の部屋を借りた方が良いと思い、またそれをする余裕も出てきたことから、2ヶ月を1ヶ月に早めて、学校から30分程に位置する一軒家の地下の部屋を借りた。4部屋あって他3人とも日本人だった。そんなつもりでは無かったが、良しとした。

仕事はローカルのカフェやレストランで働きたかったので、レジュメを作って歩き回って配った。
結局採用を取れたのは新規オープンする中国人がオーナーの日本食レストランのキッチンだった。理想とは違うが、なにより働ける事がありがたかったし良かった。

そこでの出会いにも恵まれた。ワーホリでカナダに訪れた日本人やアジアの人が多かった。仕事終わりや休日前に飲み歩いて楽しかった(致命的語彙力)。オーロラを観に行ったりもした。

今回はカナダに渡り仕事をゲットするまでをまとめてみた。次回はカナダに渡って感じた事をまとめて見ようと思う。自分が訪れた丁度その年、滞在から半年が経つ頃にマリファナが解禁された。その出来事で価値観が変わったのでそんなことを綴れたらと思う。

ではまた☻

トロントタワーから見た景色

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