【小説】座敷童は孤独が嫌い

そこにはとてもきれいな、黒い髪の女の子が住んでいた。


「うわあ、マジで。ストップ!」
星崎の急な叫び声で、俺は車のブレーキを踏む。外は真っ暗闇。普段あんなにやかましく感じる街頭は、遠目にしか見えない。車のヘッドライトも闇に飲み込まれてしまいそうだった。
あたりは一面が田んぼ。……から、山を登り始めたところである。出発時には意気揚々だった星崎。口数が少なくなってきたのは、何か思うところがあったからなのか。

カチッ

「溜井! 急に車のライトを消すなよ」
「いやあ、バッテリーが上がるのが怖くて」
嘘だった。星崎の反応を見るのが楽しくて。
「……お前、笑ってるな?」
「僕は笑わない。知ってるだろ? 落語家のおじさんに厳しく育てられたんだ」
「『噺やが笑っちゃ客が笑えねえ』だったか? だいいちお前は落語家でもなんでもない……っておい」
僕は右足を、アクセルに踏みかえた。
「どうせもうすぐだ。怖いなら目でもつむってなよ」
暗がりの車内で、聞こえたため息。
怖さを克服したわけではない。僕に諦めた時の態度だ。星崎は腕でも組んで、真面目に目をつむっているだろう。

ガタガタガタ、と車が悪路に合わせて揺れる。針葉樹林の細いすきまに、路面が伸びていた。



「溜井くんってさ、変わってるよね」
「そうだよ」
笑顔でしゃべりかけてきた女子が、言葉につまる。僕はソーセージパンをほおばり、顎だけを動かす。
「何か、用?」
「私さ、星崎に好かれてるらしいんだわ」
「本人に言いなよ」
僕が何かを言える立場でもない。
「溜井くんからお願いできない?」
「何を?」
「私に恋人がいるって。だから付き合えないって」
「直接言いなよ」
同じ意味の言葉を繰り返す。彼女の緩く巻いたパーマが、あごの下で小さく揺れた。
「とにかく、お願いだからね」
手を合わせて。それから、缶コーヒーを僕の前に差し出した。
何の気なしに、差し出されたそれに口をつけると、
「それじゃ約束ってことで」
彼女は右手を縦にして去っていった。



「陽子と付き合おうと思ってるんだ」
「直接言いなよ」
その日の夜、僕は星崎の部屋で飲んでいた。
スーパーで半額になった焼き鳥。それをつつましく肴にしながら。
「だけど彼女、オカ研だろ? 相性が悪いなんて言われたら」
「言われたら?」
「わかるだろ、お前にも」
分からなかった。通称オカ研。正式名称はオカルト研究部。その女子がオカルトが好きなことと、星崎の好意に、接点はないように思われた。
「俺はやっぱり、そういうのは大事にしたいし。
 彼女の意にそわないことは、したくない、というか」
焼き鳥の皮は、下にねばりつくような甘さだった。僕はそれをビールで流し込む。
僕は2本目の缶を開ける。星崎はすでに5本目だった。
「だからさ、手伝ってくれよ」
「貸したお金、返してくれるなら」
「うげえ。お前、えげつねえな」
「だってめんどくさいし」
「こういうのはなぁ、持ちつ持たれつだよ」
星崎はビールをやめて、日本酒をコップに注いだ。
「お前に好きなやつができたら、俺も手伝ってやるから」


東北地方。みちのくと呼ばれる地方の山間に、旅館があるらしい。
旅館に置いてある、呪いの恋人形。好きな相手と両想いなら髪は長く伸び、そうでなければ短くなるとか。

「姉ちゃんからもらってきたんだ。1cm、1000円で売ってもらった」
星崎は、スーパー袋からひと房の髪の毛を取り出した。
「……、伸びぬなら、伸ばしてしまえホトトギス。そういうこと?」
「さすが親友。そのほうが手っ取り早いと思ってさ」
星崎は怖がりのクセに、変なところで度胸がある。

「星崎ってさ」
僕が言葉を継ぐ前に、車が何かに乗り上げた。
ガタン。ブルルルン。
ギアを確認する。ギアは確かに、ドライブに入っている。
「悪いけど、見てきてくれない?」
「オーケー」
助手席から星崎が外に飛び出す。
車を一周して、頭をかきながら戻ってきた。
「うーん、轍とかではないみたいだけどなぁ…」
「押してみる?」
ギアをニュートラルに入れる。
星崎のかけ声にあわせて、二人で車のトランクをおした。

30分。
いや、1時間ほど経ったろうか。
僕と星崎は汗と泥にまみれて、へとへとになっていた。
「歩こう」
「げ。お前、マジか」
「下手にエンジンをかけたままだと、バッテリーが上がりかねない。
 そっちのほうが怖い」
それに、もうすぐつくはずだし。
僕は持ってきた地図で、星崎に示した。
車から必要最低限のものだけを取り出し、僕らはさらに暗がりへと向かうことにした。



覚悟とは裏腹に、道は急に開けた。さびれた温泉街という風情。急成長時代に建物を建てたのだろう。ほとんどに明かりがついておらず、老朽化が激しい。
唯一手掛かりともいえる街頭を追いかけ、一本の細い道に入った先に、看板を掛けた旅館があった。看板はくたびれていたが、軒先はこぎれいにしている。
僕が声をかけるよりも先に、扉が横にスライドした。
女将。とも呼ぶべき女性が、うつむいていた。
「お待ちしておりました」
「……、数キロ先で、車がトラブってしまって。
 急で申し訳ないんですが、泊めて頂けないですか?」
「もちろんでございます。
 そのための施設ですから」
女が顔を上げる。
端正な顔をしている。人形じみている、といえばいいだろうか。
どこか浮世離れした雰囲気を感じさせる。
「……どうかいたしましたか?」
「おい、しっかりしろ」
星崎が動けなくなっていたので、僕は太ももにケリを見舞う。
それでもってやっと彼は再起動がかかる。
「お部屋は廊下のつきあたりとなっております。
 大浴場は申し訳ございませんが、明日の朝6時からとなっております」
僕は返事をして、女の後をついていく。
星崎がどこかたどたどしい足音でついてきた。



「人形、ですか?」
女将は僕らを部屋に案内したあと、茶菓子を持って現れた。
もののついで、と僕は目的の人形について話題にあげた。
星崎はどうかは分からないが、僕は半ばあきらめていた。
「残念ながら。座敷童の里というのも、この先の山を越えたところが有名でありますし」
部屋の中には竜が書かれた水墨画。
その前には、センスのいい花が生けられている。
僕の視線の先に気づいて、女将が口元をほころばせる。
「造花でございますの。ほら、こんなところでありましょう。
 なにせ古いだけが取り柄なものですから。
 いつ迷い人がいらしても気持ちよくすごされますように、造花にしております」
「わあ、どうりで」
「どうりで?」
小さな女の子だった。今時珍しいおかっぱ頭をしている。
少女は女将の脇の下から、僕らをまん丸な瞳で見つめている。
「……きれいだと思っただけだよ」
「お世辞でも嬉しいわ」
女将は少女を隣に座らせ、額を畳につけさせた。
「娘です。ぶしつけになり、申し訳ございません。
 決して、うるさくはいたしませんから」
「俺らもうるさくしないように気をつけますよ」
と星崎。
「まあ」
女将が、口元に手をあてコロコロと笑った。
「ねえねえ、お兄ちゃんは」
少女の瞳が僕をとらえていた。
「人形があると思う? 」
「思うよ。座敷童とか、サンタと同じくらいには」
ちょっとした皮肉ではあったのだが、僕の回答に満足して、少女は廊下を走っていった。
女将も用は済んだとばかりに部屋を後にした。


噺やのおじは、体験談が嫌いだった。作り話が好きだった。
「人間てのは、想像力があるからここまで生きられたんだ」
というのが口癖。想像力のないバカが、体験だけを語りたがると主張していた。

僕と星崎は布団を並べて寝ていた。
ぴちょーんと。
どこからか、水滴の落ちる音で目が覚める。

音が気になったのは星崎も同じようで、隣で半身を起こす気配がする。
「……風呂かな?」
「明日の朝まで使えないって言ってたけど」
「女将が使ってるとか」
「ありえなくはない。けど」
僕はスマホに目を落とす。深夜の2時を過ぎていた。
「可能性は低いね」

それきり、会話は途切れて。
僕らは眠ろうとした。
けれど、音がやまない。
それはまるで僕らを呼び寄せてるようだった。

「探しに、行くか」
星崎の顔は乗り気ではなかった。
もちろん僕も。
ただ、明日の朝まで眠れないのは嫌だった。

廊下には明かりがない。こんな時間に客が通ることを想定してないのだろう。木目にそって歩くと、いたるところからギシギシと悲鳴があがった。
星崎は右手を壁にそえて転ばないように、そろりそろりと歩いている。
時折立ち止まっては、水の音の出所を探している。
そう、遠くないようだった。

「女の子の声?」
歌を歌っているかのような、テンポの良い、声。
水音に混ざって、聞こえてきた。
「こんな時間に?」
「僕には子供がいないから分からないけど」
夜に起きる子供、というのはふつうなのだろうか?

そうして僕らは、1つの部屋にたどりついて。
目を見合わせた。
いっせーの、と呼吸を合わせて。

二人で同時にふすまをひらく。

何もなかった。誰もいなかった。
布団は敷いておらず、部屋の真ん中には季節はずれの梅の盆栽。
水音は、部屋の中の蛇口が緩んでいるだけのよう。

「ま、実際こんなもんだよな」
安心したのか、星崎はあくびをしながら蛇口をしめる。
僕たちの頭に響くような水音は、それでしなくなった。
この部屋には、掛け軸はない。代わりに、人形がおいてあった。
おかっぱ頭の日本人形。

星崎は眉をしかめていた。
「うーん。こんな時間に見ると、妙に気持ち悪いもんだな」
「実際こんなもん、なんだろ?」
「そう。実際さ」
星崎は人形を持ち上げた。もちろん、髪が伸びたりはしない。
現実なんて。
頭の中で、死んだ噺やのおじが言っている。『一番すげぇのは想像力だ』

だよねぇ、と僕はうなずいて。
星崎に促されるままに人形を受け取った。
すると髪が――。




目を覚ます。
体を起こす。
日差しが部屋に入ってきていた。
星崎はまだ眠っている。
昨夜のは夢だったのか。

「おはようございます」

部屋の扉をノックしたのは、女将ではなく、少女だった。
少女の声が、扉ごしに聞こえてくる。

「大変申し訳ございません。本日ちょっとした手違いがありまして、
 朝ごはんのしたくができていません」
「あ、あの」
「お風呂でしたら」
「昨日」
「昨日は、お客様方しか泊っていません」

けんもほろろに、否定される。
昨日の髪の伸びた人形は何だったのか。
急にこの旅館そのものが不気味に思えて、僕は急いで星崎を起こす。

朝の準備は簡単だ。顔を洗い、歯を磨いた。鏡をのぞくと、掛け軸の下に、人形が――。

僕はふりかえる。星崎もつられてそちらを向いた。
昨日はなかったはずの人形。
けれどそれは、少女の体をしていなかった。十二単のように、着物を合わせた大人の形をしている。

星崎が目くばせをしてくる。触るか? 僕は首をふる。


「またいらしてくださいませ」
旅館の入り口までくると、少女が深々と頭を下げていた。
「あぁ、機会があれば」
星崎が言葉を濁す。
僕も同じだった。

外は晴れている。車まで、そう苦労せずに戻れるだろう。
僕と星崎は、得も言われぬ消化不良を持ちながら、旅館を後にした。
「いついらしてもいいように、造り物にしておりますので」
ばっ、と振り返る。
視線の先に笑顔の少女。




そして腰まで伸びた、きれいな、黒い髪。

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