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#1 クリスチャンになった僕。

 2020年10月25日にバプテスマを受けました。洗礼ってやつですね。

 みなさんの周りにはクリスチャンっていますか?どのくらいの人が人生の中で聖書に触れるんだろうなぁ。この世の書物の中で最大のベストセラーは聖書だと言われていますね。そりゃそうですよね。どれほど長い年月、売られているのだろう。

 僕はキリスト教の大学に進学して初めて聖書を学びました。せっかくだし人生のうちで一回くらいは触れておいても損することはないと思って軽い気持ちでバイブルスタディーを始めましたね。友達もやるって言ってるし。

 きっかけは前回のnoteでもちょっと出てきた、カンボジアでのボランティアでした。それを引率しているのが、大学に週2で来ているキリスト教の牧師さんで、この活動は教会のミッションでした。その活動の中にディボーションという聖書箇所について話し合う時間がありました。その時間がとても深くて、有意義なものだったのです。それを機に帰国してからも聖書を学びたいと思い牧師さんにお願いして、カンボジアに一緒に行ったメンバーと共に、大学の空きコマで教えてもらうことになりました。

 僕は幼少期からそもそも神様がいるものだとなんとなく信じて生きていたようにも思います。困った時は神頼み。進路や大きな出来事は神様がしかるべきところに自分を連れてきたのだと思ってました。いわゆる「運命」ってやつを僕は「神様」と置き換えて考えていたということですね。

 そんな僕がバイブルスタディーを始めて思ったのは「この話知っている」でした。ルカの福音書を1章から学んだのですが、まあ簡単に言ってしまえば、イエス様のお話です。イエス様が生まれてから十字架にかかって死んで3日後に復活して天に登るところまでです。

 なぜ僕がこの話をなんとなく知っていたのかというと、小学生の頃に英語を習いに通っていたのがキリスト教の教会で、そこでイエス様についてまとめられたマンガを知らずに読んでいたからです。その記憶があってか、聖書の学びはかなり馴染みやすかったです。それも神様によって備えられていたと思っています。

 まあそんなこんなでバイブルスタディーをしていたのですが、結果から言うと「まったくわからない」でした。そりゃわからんですよ。訳わからん。なーに言ってんのさって感じでもう。質問しまくりです。ずっとしゃべりっぱなし。楽しかったなぁ。

 でもバプテスマを受けるなんてことはまだ遠かったです。理解できないけどなんか良いだろうなぁと思うものを受け入れることはできませんでした。「神様に頼らなくても自分はすごいし」って思いたかったんです。そうは言ってもなかなか上手くいかないもので、失敗の連続。それでもクリスチャンの友人たちは優しく愛で受け入れ続けてくれました。当時付き合っていた彼女ものちにクリスチャンになるのですが、最大の愛を持って僕と接してくれていました。初めて「僕はこの人を愛している」と思いました。好きって気持ちは何度も感じましたが、愛しているは今までにない感覚でした。

 しかし僕はまだまだ自分を手放せませんでした。自分がすごいことの証明に勤しんでいたのです。その結果周りの僕を愛してくれていた人たちを深く深く傷つけてしまいました。最低です。生きている価値がない。今すぐにでも死にたいと思いました。消え去りたいと何度願ったことか。苦しめてしまった僕は自責の念に耐え切れていませんでした。

 そんな僕に対してそれでも愛してくれたのは深く傷つけてしまった彼女と周りのクリスチャンの友人たちでした。苦しかった。怒って怒鳴って殴られる方がどれほど楽だったか。それでも愛してくれた。それどころかこれからどうするのかも一緒になって考えてくれた。もう僕の理解の範疇を超えた体験でした。

 それから僕は教員になり、うつ病になりなした。軸を失って働く苦しさと空虚感。常に抜けない緊張感。恐怖。潰れていました。そして爆ぜました。そんなときに寄り添ってくれたのが、かつて傷つけてしまった彼女でした。もうその時は別れていて、彼女はバプテスマを受けていました。別れてからも仲が良く、結構会っていました。いつも通り遊んだ日、彼女を含めた友達とバイバイした後に、彼女は唐突に「なんか今日はもっと話さなきゃダメだと思う。」と戻ってきました。僕も時間があったので僕の家で二人で過ごしました。ピザを食べながら映画を観て、話し始めました。「ハグする?」そう言った彼女には、僕の張り詰めた糸が見えていたんだと思います。ハグをしながらわんわん泣きました。

愛されているんだなぁ。

 彼女の愛が僕の心を和らげてくれました。そのあと彼女は僕に御言葉を送ってくれました。どこだかは忘れてしまったけれど、「今はそんな気分じゃない」と言った僕にその言葉は刺さりました。安らぎと癒しをもたらしてくれました。

 あぁ。もう参りました。降参です。

 神様セッティングしてくれたこの時間に感謝をすると共にバプテスマを受ける決意をしました。

 バプテスマを受けてからは平安が訪れています。落ち着いていて毎日が潤っています。

 宗教って言われるとアレルギー的に嫌ぁな印象をもたれる方もいると思います。でも信仰があってこその宗教です。「何を信じるか。」です。信じるものの教えを習慣として行うのが宗教です。宗教先行では大事なものを見失ってしまいます。

 皆さんは何を信じていますか。自分ですか。家族ですか。先生ですか。尊敬する人ですか。神様ですか。ふとした瞬間にぜひ考えてみて欲しいです。

 僕は神様との関係を大事にして生きていきたいと思います。信じて生きていきたいと思います。「自分を信じていた時より圧倒的に豊かである。」そう胸を張って言えます。

 なぁんて書いてみましたが、ぜひクリスチャンがいたら聞いてみて欲しいです!「聖書っておもしろいの?」って。

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