12/10 読んだ本の話

 Amazonから本が届いたので読んでいた。『資本主義リアリズム』だ。

 この手の本を買う時にはいつも「Amazonみたいな資本主義の権化的サービスを利用して買うのはいいのだろうか、いい」といったゴミみたいな考え事を1秒くらいする。もっと地元の小さな本屋を応援し地域の絆をつよくつよく支えていけギギギギギみたいな話もあったりするがなぜ広い地球の中でわざわざ自分の住んでいる地域だけを応援するのか?その正当性は?義務論?フェアトレード?力への意志?おいしい?ぷるぷる?となり全てが分からなくなって来る。そうなると人はタップひとつで家から動くことなく注文から受け取りまで可能なAmazonを利用してしまう。その結果20XX年核の炎に包まれずともAmazonを除く全ての小売業が消滅するわけだがその頃には僕の肉体も消滅しているわけで解脱しておけば輪廻することもなくめでたしめでたしという感じがする。というわけで僕は特に深い倫理的思索をすることもなくAmazonで本が買えるわけだ。

 そして大抵この類の本を読むとその姿勢は反省を迫られ、滂沱の涙を流しながら「そうか!!!!!!!!資本主義こそが僕たちの敵だったんだ!!!!!!!労働者の絆を大事に愛・地球博!!!!!!!!(心の中で絶叫)」となるのだが、この本では直球に労働組合や労働者運動を称賛したりせずにひとひねりしてあった。ここで掲げられている資本主義リアリズムは「最善」の顔を厚かましくして迫ってくるただの資本主義ではなく、巧妙にオルタナディブの可能性を縮減していって「この道しかない」と思わせるものだ。

 
 内容の詳しい説明をすると日記感が損なわれ急に政治的文書っぽくなってしまうので気になった所だけ最低限書いていくと、資本主義リアリズムでは、一時期までそうではなかった資本主義的振る舞いが自然なリアルなものであるかのように見せかける。しかし資本主義も明らかに行き詰っていて、それが目に見える現象としてフィッシャーは近年見られる精神疾患の大流行や、(商業的文脈に回収されていない真の意味での、無主体によって引き起こされる)環境問題などを挙げている。ほかにも規律社会に対する管理社会の軸で資本主義リアリズムの官僚主義的な性質を説明したり、ラカン派精神分析における象徴界や現実界と資本主義リアリズムの関係の仕方など語っているが全部は語れないし語るつもりもないので各自買って読んでくれ。

  資本主義リアリズム、これミクロレベルでどうにかなる話じゃないし、どうやって連帯するんだよ、よしんば連帯できたとしてどうやって解決するんだよ……と思いながらページをめくってたら著者のマーク・フィッシャーさんは一般意志の復活を唐突に訴えながらうつ病で自殺してしまい「あばばばば」となってしまった。

 資本主義やら正義やらクソデカ概念の話を読んだり聞いたりすると、「一体不可視不可触な概念と敵対してどうするんだ?お疲れ様でーす」という気持ちになってしまっていたが、まさにそういう精神構造(不安と冷笑主義)が後期資本主義の典型的な症状だと言われ、あーあまた典型的な人間だと言われちゃったよ、おじさんもうお酒飲むしかないな、と思ってお酒飲んで久しぶりに吐いたりした昨今。お前はまだ自分を特別な人間だと思っていやしないか?

 いろんなことが自己責任に帰せられる新自由主義社会に生きているわけだが、元をたどって行けば生れた事自体の責任は自己に帰せられないわけで、そう考えると適度に他人や社会構造のせいにしたってバチは当たらんだろう、しかし責任追求ごっこをしても人生の前景は変わらんし続いていくなあ……無だなあ……と思いながらこの時間になってもまだ酒を入れるか迷っている。

延命に使わせていただきます