12/15 仏像を買わせたいという感情
日記をつけるようになってまだそんなに経っていないが早くも限界を感じ始めた。普通に生きている人間がネット映えするようなイベントに毎日遭遇する訳もなく、大体はしょうもない事象をモリモリ装飾していくことになる。しかし冷静になって考えてみると自分の身近に起きた事ばかり書くことだけが日記ではない。その日起きたニュースやら聞きかじった事を書き留めては感想をつけるといった形の日記もあったような気がするし、全て妄想の日記でもいいかもしれないが精神が危険に成りそうな予感がする。
それで、こんな記事があったんだけど、
これ読んで「俺も仏像を○○名義で大量に発注したい!!!!!!」と思った人間がこちら側の人間になっております二列に並んでお待ちください。
日本国憲法第19条によってわれわれは内心の自由を保障されている。つまりぼくたちわたしたちは、「俺も仏像を○○名義で大量に発注したい!!!!!!」という純粋な気持ちを抱く権利があるのだ。しかし、実行に移す段階になるとそうはいかない。26歳の彼には刑法233条が襲いかかったわけだし、彼は取調室で世界の独我論的構造を主張し世界そのものが俺の内心であるから実行自体もまた内心の自由の行使であるのだなどと主張するかもしれない。しかし警官はやれやれといった表情、こうして彼が仏像を大量発注した事によって世界の客観的実在性が証明されてしまう。いやしかし彼の独我論的世界に刑法が存在し、彼の内心の裡に刑法が機能したという考え方もできるわけでこの話はやめよう。
つまり多くの人間は心の中で「奴に仏像を買わせたい」と思うだけで済ませられるのだが、一部の人間は実際にやってみたをやらかしてしまうということが言いたかった。しかもそれは「世の中には二種類の人間がいる」といったような静的な二分法で区別できるものではない。彼が追い詰められていたかは分からないが、人間追い詰められれば仏像を買わせてしまうことはありうる。われわれは常にその瀬戸際で生きているのだということを強く強くかみしめた一日だった。
延命に使わせていただきます