吉田寮訪問記

 NF祭、つまり京都大学の学園祭に行った。

 学祭の目当てとしては何より緊縛同好会の展示を見ることと、ジャズ研の演奏を聴くことだったが、この期に解除しておきたい実績があったので、そこに向かった。

 吉田寮。

 ぼくはつい最近まで架空の大学を舞台にした青春小説を書いていたのだが、とある施設のモデルの一つとして、まだ見ぬ吉田寮があった。自由という制服を着た学生というふしだらな身分の避暑地。抵抗の現前。折坂悠太『夜学』のMVが撮影された場所(これは文脈的には余計か)。そういったイメージがあり、必ずしも小説の方には反映させなかったものの、歴史性と反歴史性が結晶したひとつの現実として、吉田寮のイメージはいつも脳裏にあった。

 憧憬を抱いている未経験の対象を経験することによる幻滅といえば言うまでもなく三島由紀夫の『金閣寺』が想起されるが、ぼくが「当の」吉田寮を見たとき、そういった感覚を得ることはなかった。それは想像以上の吉田寮があったということではなく、想像していた理路とは全く違う思考をせざるを得なかったということなのだ。

 寡聞にして知らなかったのだが、吉田寮には新・旧というのがある。中心である、時計台のある吉田キャンパスから道路を挟んで吉田南キャンパスがあり、吉田寮はそのなかにあるのだが、この順路で歩いていくと、まず目にするのは新吉田寮だ。柔らかな光度に調節された照明と単純にして簡素な幾何学的構造。安部公房の言葉で言えば、そのコンクリート製の集合住宅は「手段としての風景」そのものだった。それが「吉田寮」を名乗っている。研究棟と旧吉田寮の狭間で、機能美(これは当該社会の要請により求められる機能が変化するごとに失われる短命な美だ)を体現するようなコンクリート製の吉田寮という異物は、最後の領域を侵食していく硬質ながん細胞のように見えた。これが旧吉田寮に足を踏み入れるまでのぼくの率直な感想だ。

 (旧)吉田寮の正面に立って見ると、結界の中に入ったみたいに世界の見え方が変わる。地元には真新しい建物に囲まれた古い建築物がいくつかあったけれど、吉田寮のあの空気は出せない。ここだけ時間が封鎖されているような気持になる。とはいえ入口のすぐ近くにはモンスター(150円で売られていた。安いのでは?)がずらりとならんだ自動販売機が稼働していて、ここは令和(!)なのだということを思い出させられる。

 入り口すぐには見学者向けのパンフレットがいくつかと、カンパ用のボックスがあった。だが普通の人間が一番に目を向けるのは、正面に備えられたこたつに住人らしき人々がたむろしている光景だろう。空間とのシームレスな接続。建物が人を作り、そこに馴染んでいない者は一見してたじろぐと思う(正直なところぼくもその一人だった)。ひとしきりおどおどした後ぼくはツアーらしきものを無視して一人で建物を周り始めた。

 建物の歴史はどこに宿るのか。ぼくは匂いだと思う。いくら建材が古くても改装してしまえばある程度歴史は薄れる。いくら古びていて汚い生活用品が廊下に投げ出されていたって、そんなものは駄目な学生の部屋ならいくらでも目にすることができる。だが、匂い。歳をとった木のあの匂いだけは、どれだけ改修しようが、大規模なリノベでもしない限り拭えないだろう。ぼくはできるだけ鼻で深くゆっくり呼吸をしながら、廊下を行ったり来たりした。

 壁一面にアジビラや集会のチラシが重ね貼りされている。このあたりは事前に予想していた通りだ。いくつかの空き部屋は外からちらりと覗くことができたが、その荒廃ぶりも予想通りだ。この空間を守りたいと思う人々の気持ちは分かる。

 だが、二階に上がるのは正直言って怖かった。どの階段も、踏むだけで僅かに沈む感覚とともに、ギシギシという音を立てる。「常識的」感覚からすれば、この状態を放置して住み続けるのは危険だと言われても仕方ない。だから住民が改修を求めるのは当然のことだ。しかし結界の外からは、あのコンクリート製の小奇麗な怪物が迫ってくる。取り壊しを求める怪物たちの叫びは、否応なく古木の砦の中にも響いているだろう。

 政治的に強い表象を長時間浴びるとぼくはおかしくなってくる性質なので、一端生活の方に目を向けると、そこでもまた発見がある。使えなくなった電話を引き直したり、外部の人と一緒に大掃除企画をしたり、自販機を置いたり。ここにあるネットワーク的な生活システムは、たしかに京都大学の敷地外を超え、社会と繋がっている。レトリック的にはそうでないといえるかもしれないが、これらの事象そのものには何の政治性もなく、ぼくたちの生活の中にも当たり前のように存在しうるものだ。当たり前のことだが、吉田寮は近代文明に背を向け、時代錯誤の旧制高校的学生生活をやっているわけではない(アニメ一挙上映会などもやっているらしい)。

 ぼくは単なるミーハーな外部の人間でしかないから、吉田寮をこれからどうしていくべきなのか、住民たちと大学当局との間で上手い落とし所を見つけられるのかどうか、そういうことに言及するつもりはない。もはや新吉田寮を悪しざまにけなすことはできないし、旧吉田寮内の政治的なビラの多さには正直うんざりした。ただ、あの強烈な木の匂いは脳裏にこびり付いて離れない。もし取り壊されたら(大規模な改築でもそうなるのかもしれないが)、あの匂いは永久に地上から失われてしまうだろう。あれは単に古い木造建築ならどこでもあるというような匂いではなく、戒律なき庶民的な生活臭が積み重なった奇蹟だからだ。

 ぼくは再び吉田寮の正面から外へ出て、吸殻で満杯になっていた灰皿のそばで煙草を一本吸った。黄葉真っ盛りの銀杏並木は、しじまの色を僅かに含んだ午後四時過ぎの陽に照らされ、黄金の焔として燃え立っている。その肌寒い熱が、できるだけ長くあの大学の一角に煌々とあって欲しいと思う。

延命に使わせていただきます