12/16 動けない日の缶詰
まあ察する人もいるかわかんないけどこの2日間くらい全く動けてなくて可動域が毛布のある範囲内に限られる勢いだったから当然料理なんかできない。だけど流石に腹は減るというので、前の地震の時に勢いで勝った防災食の中から焼き鳥の缶詰温めて食ったらまあ旨い。
塩だれと普通の甘だれが煮凝りみたいに固まっててこれをレンジでやっていくとふつうの焼き鳥っぽくなる。というか冷えてる状態でも十分旨い。非常食がこんなに旨くていいのだろうか。非常食のクオリティが上がり過ぎてしまうと災害が楽しみになってしまうのではないだろうか。まあ別に焼き鳥の缶詰が非常食専用ってわけじゃないからそんなことにはならないのだけど、しかしそんなことを思わされてしまうほどの旨さがある。
最近の缶詰は保存食の域を越えてわざわざ買うって層がいる雰囲気がある。缶つまプレミアムシリーズとか俺は買わないけどアレ保存食として買う奴はいねえだろ。避難所でみんなが乾パンとか食ってる中牡蠣のオイルサーディン食うやつ相当精神が強いと思う。被災した沈鬱さの底に非日常感からもたらされる昂揚感が吹きだまっている避難所の中で、突如「牡蠣だー!」と大声を上げる子供とかいたらみんな「えっマジこの状態で牡蠣かよ」って顔してその家族の方を見るんだけど、なにはともあれ楽しそうな声をあげる子供がいるのはちょっとなごむかもしれないな。だが俺たちは当然独り身の寂しいすれっからしだから隅っこで誰にも気づかれずに牡蠣を食うことになる。その孤高さ。本来ならば「今日はちょっと贅沢して牡蠣でもつまみながらウィスキーいくか」なんて安全に守られた中での特別感を期待していたんだけど、独り身がわざわざ避難所で他の人に「牡蠣の缶詰あるんですよ~うち。準備しといて本当によかったです」なんて話しかけに行くのは完全に異常なので、結果として他の誰とも特別感を共有できず、牡蠣それ自体が持つ非日常的特別感も災害にかき消され、一人食う牡蠣のオイルサーディンからは妙に渋い味がすることになる。しかしお前は一人きりの精神の牢獄の中で鏡合わせになった己に強さを響き返させ続ける。俺は精神が強い、俺は精神が強い、俺は精神が強い、ゆえに俺は牡蠣を今ここで食う・・・・・・これで非常食としては牡蠣のオイルサーディンが適していないことが分かったと思う。その点焼き鳥缶詰は日本的な奥ゆかしさがある。贅沢過ぎず、かといって貧相さもない。自然と隣の家庭におすそわけもしやすい。
つまり焼き鳥缶詰最高!という話をうすーくうすーく引き伸ばしたのが今日の日記でありこんなものを最後まで読まされた皆さんには同情の念を禁じえない。そういう日もあるよな。僕は皆さんの生活を応援しています。
延命に使わせていただきます