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大人の問題解決パターンが問題だ

何か問題が発生したら、どう考えるか


我が家の家電が10年を超えてくるといろいろと壊れたりしてくるものです。リビングの電球(これはしょっちゅう)、DVDデッキ(なぜか5年に1回と壊れる頻度が多い)、冷蔵庫(15年くらい)、洗濯機(13年)、給湯器(17年くらいか)、エアコン(10年くらい)などなど。
そうすると、まずはどこがどのように壊れたのか、確認できるものなら一応確認。そして修理できないかどうか、できなければ買替という感じ。
職場ならどうでしょうか。スタッフのシフトを組んでも、当日さまざまな事が起こってシフト通りにならない、言った指示とは異なる結果が報告される、取引先から納期に間に合わないなどいろいろ問題が発生します。
すると原因は、どこにあるのか。そしてどう対応するかを考えますよね。
原因→現在の状況(結果)と考えるのはごく自然なことですよね。そうしなければ、対応方法も考えられないからです。

原因→結果 だけでは解決できない問題がある

日常生活のほとんどの問題は、原因→結果を把握することで解決方法もおのずと出てくるものです。
ところが、例えば運動不足なので毎日ジョギングをしようとしていつの間にか辞めてしまう、将来に備えて英語を勉強しようと誓いを立てて3日坊主に終わる、毎月なぜか収入より支出が多くなってしまうなど繰り返す中で最初こそできていたものがだんだんとできなくなったり、気がついたらいつも赤字などの問題は、単純な原因→結果ではなく、日々の繰り返しの中でじょじょに問題が大きくなっていくようなものがあります。
仕事においても、毎月同じ量を仕入れていたら、いつの間にか抱えきれないほどの在庫になってしまったとか部下に細かく指導していたらだんだんと若手が辞めてしまうなどして人手不足になって業務が滞ってしまったなどの例もあります。本人は一生懸命してベストを尽くしているのに、時間が経てば経つほど悪化していくというようなことがあります。このような問題は、繰り返される行為が時間の経過とともに変化していくという複雑な問題、あるいは構造的な問題と言われるものです。人間はこのような問題の対応に非常に慣れてなくて、往々にして対応を間違ってしまうのです。

毎日、繰り返し学校に行っていた子どもが行けなくなった

もうお分かりの方も多いと思います。不登校になった子どもを前にしたご家族は、何か学校に行けない「原因」があって、不登校という「結果」になったと考えてしまうのです。
ところがこのような考え方では、まず上手く対応することができません。
まず第一の誤りは、「原因」があると思い込むことです。一生懸命、子どもになぜ学校に行けないのかと問い詰めたり、学校の担任に質問したりしてしまいます。しかしどこにも「原因」らしきことが浮かび上がってきません。ともすると「学校にいるときは、楽しそうにしていますよ」などと言われ、余計に訳がわからなくなってしまいます。
ご家族が「原因」探しに没頭するあまり、子どもとの関係がますます悪くなってしまいます。「どうして行かなくなったの?」と優しく言おうが「なぜ行けないんだ」と厳しく言おうが関係ありません。聞かれた方は、何か悪いことをしているような印象をもってしまうので心を閉ざす以外に対応できなくなってしまうのです。
これでもし「原因」がどこにも無さそうだとなれば、どう考えるでしょうか?当然、子どもがワガママを言っている、サボりたいからだ、とその子の性格に問題があると結論づけてしまいます。あるいは親の躾けが甘かったから、甘やかしたから、多少嫌がっていても我慢させて行かせるのが親の務めと考えてしまうものです。
問題に対する無意識的な「原因」→「結果」の考え方が、親子関係を悪化させてしまうのです。

不登校になる、それはとても複雑で難しい問題です

子どもだって好き好んで「学校に行かない」などと言っているのではないのです。
むしろ行けるなら、行きたいという子どもは半数以上います。
しかし行けないのです。
そして不登校になった自分の状態を客観的に説明できることなど、不可能に近いことなのです。なぜならどうしてこんな風になっているか、自分自身でもよく分かっていない、謎の現象だからです。
なのに「なぜだ、なぜだ」と問い詰められたら、どうなりますか?ふさぎ込むしかありません。子どもは素直に反応しているだけのことが多いです。
それを歪んだフィルターをかけて、曲解しているのは大人の方なのです。
「原因」があって「結果」となっているというような単純な問題ではないということを肝に銘じてほしいと思います。