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クリティカル・シンカーをふやそう

Terrakkoがめざしている教育。
それは、クリティカル・シンカーを育てること。

グローバル社会でサバイブするための
必須スキルといえば、
クリティカル・シンキング。

世界のトップやエリートが、
力を入れておこなう教育。
それが、
クリティカル・シンキングの教育なのです。

クリティカル・シンカーになるには、
クリティカル・シンキングを経験し、
学ぶ必要があります。

私が初めてクリティカル・シンキングを
学問として経験したのは、
UNSW大学を受験するために
準備期間として入学した
ファンデーションコースでした。

サイエンス・エンジニア・ドクター系を
目指すこのクラスには、
パプアニューギニア、日本、インド、パキスタン、香港など、
様々な国から集まった生徒がおりました。

物理、化学、数学、そして、アカデミック英語を、
一年かけて学ぶクラスでした。

指導教授は、すべてUNSW大学の年配で
経験豊富な教授軍。

UNSW大学で、
ネイティブの学生たちと肩を並べるために、
必要なスキルを丁寧にわかりやすく、
情熱をもって指導してくれる
素晴らしい人々でした。

そして、ネイティブに追いつくための
アカデミック英語のクラス。
そのクラスの基本は、
ディベート・プレゼンをできる限り経験させ,
同時に、IELTSのスコアを上げる
授業を行うという設定でした。

私がそれまでに経験した
英語のクラスとは全く異なり、
自分という人間の理解や
仲間とのコミュニケーションの大切さを
実感したクラスでした。

海外でいう
質の高いレベルのコミュニケーションとは、
リサーチや知識に基づき、
様々な方向からの意見を交え、
冷静に、よりよい解決法を
探し出せるという事です。

ディベートやプレゼンの練習の際には、
勝敗に関係なく、トピックの理解力、
リサーチ力、話の持って生き方、
言い回し、体の動き、移動する場所、
見る方向、声のトーンなどなど
徹底して研究しました。

また、指導者だけでなく、
周りの仲間からの評価をうけるため、
回を重ねるごとに、
自分では見えなかった自分を知ることにもなり、
とても勉強になりました。

もちろん、様々なトピックにおいて、
クラスメイトの意見を聞けることも
とても貴重でした。

たまに感情的になるような場面もありましたが、
感情を抑えながら
コミュニケーションをとる方法を
見つけるよい練習となりました。

また、そんなときは必ず、
指導の教授が別途に
話し合いの時間を作ってくれ、
納得するまで話を聞いてくれるのでした。

彼らは本当にどこまでも丁寧に
人材を育てるという事に
徹底してくれるプロでした。

小学校高学年から、
このような練習を始める国や学校の子供たちは、
大学に入るころには、
すばらしいプレゼンや説得力のある会話が
できる学生たちとなります。

そして、このコミュニケーション力は、
大学在学中から就職においても、
とても重視されます。

私は、このような自分を試し知るための
コミュニケーションの経験と学び練習の格差が、
日本と世界を大きく引き離している原因だと感じています。

日本では、黙っていることや対立しないことを
美徳とみる文化がありますが、
海外では、黙って聞いているだけの人材は、
考える力がない、必要ないとされる傾向にあります。

知識の記憶ができるだけの人間の必要性や価値は、
AIやコンピューターの存在により下がってきています。
テストの内容が記憶するだけの内容では、
意味がないということなのです。

ただ、素晴らしいことに、
日本の学生たちが中学卒業までに学ぶ教科書内容は、
世界トップレベルです。
これは本当に他の海外では見られない
日本政府のすばらしい努力です。

でも、コミュニケーションの経験が足らないばかりに
生かされていないのです。

本当に、とてもとても、もったいないことなのです。

コミュニケーション力を上げる方法は、
経験するしかありません。

教育機関なら、
生徒、親、先生方を
皆、交えて。

コミュニティの中でも、
男女関係なく、
年齢関係なく、
上司・部下・先輩・後輩なども関係なく、
双方向で安心して様々な意見を交わせる
環境を作ってゆくべきだと思っています。

グローバル社会で活躍できる
クリティカル・シンカーをふやし、
様々な方向からの意見を尊重し、
最良の解決法を見出せる人材を
増やしてゆけるコミュニティづくり。

それが、今の日本にとって
必須の対策だと思います。

お互いの考え方や
感じ方の違いを知ることは、
とても大切なことです。

海外では、家庭、人種、宗教、
教育、土地、国などの違いにより、
ひとりひとりの考えが異なることが
普通と理解されています。

そのため、
お互いの考えの違いを尊重し、
理解しあえるコミュニティづくりが
海外では普通に行われています。

最近、日本では
相手が何を考えているか
わからないという危うさが、
大きな事件を引き起こしているように思います。

もっとお互いがきちんと
コミュニケーションできる社会であれば、
そのような危うさも減るのではないでしょうか。

だからこその
クリティカル・シンカーをふやそうなのです。

平和で安全、
そしてお互いを尊重しあえる社会のために、
もっと心を開いて話し合える場が必要です。

皆がその大切さに早く気付いてくれることを
願っています。







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