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地球を巡る二つのアジア発世界ビジョン

自由で開かれたインド太平洋(FOIP)と一帯一路はいずれもアジア発の世界ビジョンと言える。一方で、シーパワー勢力(※)対ランドパワー勢力(※)、自由主義対全体主義(あるいは権威主義)のいずれが21世紀後半の地球を主導するのが望ましいのかを巡る競合とも考えられる。いずれも経済圏構想としてインフラ整備を当面の軸に据えている。

本稿で(※)を付した用語については、本稿末尾の「地政学の用語解説」参照。


21世紀後半の世界に向けて


世界島(※)であるユーラシア大陸~アフリカ大陸を巡る2つのビジョンが競い合っている。いずれのビジョンも世界の平和的発展を掲げており全面的に対立するものではないが、どちらのビジョンを採用するかで21世紀後半の世界の姿は大きく変わるように思う。

(1)日本発の世界ビジョン - 自由で開かれたインド太平洋

自由で開かれたインド太平洋(FOIP:Free and Open Indo-Pacific)戦略は、日本の安倍晋三元首相が2016年のTICAD Ⅵ(第6回アフリカ開発会議)の基調演説対外発表し、アメリカの新たなアジア太平洋戦略として支持されることとなった世界ビジョンである。2007年のインド国会における安倍元首相の演説「二つの海の交わり」が、FOIPの基となる構想を対外的に明らかにした最初と考えられる。
TICAD Ⅵの基調演説で安倍元首相は、「世界に安定、繁栄を与えるのは、自由で開かれた2つの大洋、2つの大陸の結合が生む、偉大な躍動にほかなりません。日本は、太平洋とインド洋、アジアとアフリカの交わりを、力や威圧と無縁で、自由と、法の支配、市場経済を重んじる場として育て、豊かにする責任を担います。」(太字は筆者)と演説している。外務省、経済産業省、防衛省などの各省では「①法の支配、航行の自由、自由貿易等の普及・定着、②経済的繁栄の追求、③平和と安定の確保」をFOIPの三本柱としている。

(2)共産中国発の世界ビジョン - 一帯一路

一帯一路は、共産中国の習近平国家主席が2013年にカザフスタンを訪問した際に提案したことに始まる経済圏構想である。「一帯」は中央アジア経由の陸路「シルクロード経済ベルト」、「一路」はインド洋経由の海路「21世紀海洋シルクロード」を指す。
共産中国が主体となって、一帯一路に該当する地域の物流ルートを整備して貿易を活発化し、経済成長を実現することを目指す。鉄道、道路、港湾などの交通インフラや原油や天然ガスのパイプラインなどのエネルギーインフラなど、インフラ整備が構想実現の重要な要素となっている。
「開放型の世界経済システム」を提唱しているが、近年の共産中国の行動を見る限り、その開放性はどのようなものかに疑念がある。

20世紀の構図再び


20世紀は新興海洋勢力である日本対大陸列強であるロシアの対立の中で幕を開け、日露戦争に至った。英米のシーパワー諸国が日本を支援し、独仏のランドパワー諸国がロシアを後押しした。
第二次世界大戦では、何を見誤ったか本質的にはシーパワーであるはずの日本は、当時のランドパワー強国であるドイツ側の枢軸国として参戦した。満州を勢力圏に入れたことにより、日本が半分ランドパワー化していたという事情もある。一方、ランドパワーであるソ連は、ドイツに対抗するためにシーパワーである英米側の連合国として戦った。
第二次世界大戦後の20世紀半ば以降のほとんどは米ソ冷戦の時代である。
第二次世界大戦は民主主義対ファシズムの戦いと連合国側は規定した。米ソ冷戦は自由主義陣営対共産主義陣営という表現も良く見られた。しかしながら、日露戦争、第二次世界大戦、米ソ冷戦のいずれも、主役を変えたシーパワー対ランドパワーの闘争であったと捉えることもできる。ただし、第二次世界大戦はシーパワーの日本がランドパワー側の枢軸国、ランドパワーのソ連がシーパワー側の連合国とねじれ現象が生じている。なお、第一次世界大戦は実質的には欧州大戦と考えられる。
冷戦終結後の1990年代~2000年代の大半はシーパワー対ランドパワーの構図がやや凪いだ状態となっていた。しかしながら、2010年前後から再びシーパワー対ランドパワーの構図が顕在化してきたと言えるのではないだろうか。日米英をはじめとするシーパワー勢力と中露を核とするランドパワー勢力の角逐が徐々に多くの人に認識されるようになってきている。そうした時期に提唱されだした日本発のFOIP、共産中国発の一帯一路の二つのビジョンは、21世紀後半の世界がどうあるのが望ましいのかを巡るビジョンの競合とも言えよう。

インフラ整備の資金需要は巨大

(1)インフラ整備の資金はまだまだ不足

FOIP、一帯一路構想共に構想地域のインフラ整備が重要なカギを握る。
2017年公表とやや古い推計であるが、ADB(Asian Development Bank:アジア開発銀行)はアジア地域のインフラ整備には「2016年から2030年の間に26兆ドル、年間で1.7兆ドル」が必要と見積もった(ADB“Meeting Asia’s Infrastructure Needs”日本語ハイライトより)。ADBによると投資需要見通し額の「不足額(GDPの3%)を民間部門が補うとすれば、現在の民間投資額の約630億ドルを、2016年から2020年にかけては年間2,500億ドルに増やすことが必要」「国際開発金融機関はアジアの開発途上国・地域におけるインフラ投資のおよそ2.5%を支援している。中国とインドを除外すると、その比率は10%を超える」との事である。
別言すると、アジア地域のインフラ整備のための資金はまだまだ不足しているということである。

(2)ADBとAIIB

インフラ整備を実施する事業体は、日中共に多くの実績を積んだ企業群が存在する。国や地方公共団体が所管することになるインフラは、基本的には当該所管者がインフラ整備の費用を供出するが、当面の資金は融資等を活用することが多いであろう。
FOIP戦略の金融面を担う公的機関としては、ADB、JBIC(国際協力銀行)、JICA(国際協力機構)、DBJ(日本政策投資銀行)などが挙げられる。なお、ADBは貧困削減を主要業務としており、インフラ整備はその一環という位置づけである。
一帯一路については、AIIB(Asian Infrastructure Investment Bank:アジアインフラ投資銀行)、SRF(Silk Road Fund:シルクロード基金)、CDB(China Development Bank:国家開発銀行)、NDB(New Development Bank:新開発銀行、通称BRICS銀行)などが挙げられる。
もちろん、両構想とも多くの民間金融機関が融資を担っている。
両構想の象徴的国際金融機関であるADBとAIIBを簡単に比較したのが、下記の図1、図2である。

図1:ADBとAIIBの概要

出所:ADBAIIBの各ウェブサイト(2023年6月13日アクセス)より筆者作成。

図2:ADBとAIIBの投融資実行額

出所:ADB、AIIBそれぞれの「ANNUAL REPORT」より筆者作成。

2015年のAIIB設立時、アメリカは友好国に不参加を呼びかけたが、イギリスが先頭を切って創設メンバーに加わった後、日本以外の主なアメリカの友好国も創設メンバーに加わった。そのことは、アメリカの威信が陰ってきた象徴的事件として捉えることができる。アメリカの権力中枢部は衝撃を受けたと推測される。
一方、現時点までの推移を見る限り、AIIBは当初懸念されていたような存在とはなっていないように思える。むしろ、ADBなどを補完するような形となっていると言えそうだ。ただし、今後ともそうであるかは注視する必要があろう。

(3)「債務の罠」

AIIBは象徴的事件としては大きな意味を持ったが、現時点までではそれほどの問題となる行動をしているようには見えない。しかし、一帯一路構想そのものでは、いわゆる「債務の罠」問題などが顕在化している。
「債務の罠」は、2国間の融資で国際援助を受けた国が債務の返済に行き詰った際、債務の代償として合法的に重要な権利等を債務国側から債権国側が取得することである。具体的には、ジブチの中国人民解放軍駐ジブチ保障基地、共産中国国有企業・招商局港口が99年間租借することになったスリランカのハンバントタ港などの事例が挙げられる。
アメリカの研究機関であるCGD(Center for Global Development:世界開発センター)が、2018年3月に発表した調査報告書(John Hurley, Scott Morris, and Gailyn Portelance “Examining the Debt Implications of the Belt and Road Initiative from a Policy Perspective” CGD Policy Paper 121 March 2018)では、ジブチ、モルディブ、ラオス、モンテネグロ、モンゴル、タジキスタン、キルギス、パキスタンの8か国が、一帯一路に伴う債務問題に直面していると指摘している。

どちらのビジョンがより望ましいか


2008年のリーマン・ショック時は、アメリカをはじめとする先進諸国の急激な景気冷え込みを傍目に、共産中国は大胆な景気拡張策により世界経済を下支えしたと言われる。その際に急拡大した共産中国の生産力がその後余剰となり、その捌け口として一帯一路構想を推進しているという見方もある。そのため、インフラ建設は確かに現地の利益となるが、インフラ建設過程では中国企業、中国労働者が中心的に収益を得て、現地にほとんどカネが落ちてないという話も聞く。
前述の「債務の罠」と合わせ、一帯一路構想は、世界島における共産中国の勢力拡大のための聞き心地の良いビジョンと化している懸念も拭えない。覚書を結んで一帯一路に参画しているG7唯一の国イタリアが、一帯一路から離脱を検討しているという報道もある。
対して、FOIPは法の支配、航行の自由、自由貿易などを掲げ、「質の高いインフラ投資」を志向し、各国の自立的発展を後押しすることを目指している。なお、「質の高いインフラ投資」については、考え方については外務省、事例については国土交通省経済産業省などのウェブサイトを参照していただきたい。
21世紀後半の世界を見据え、読者はどちらのビジョンがより人類の幸せを増幅できそうと考えるだろうか。


地政学の用語解説


●シーパワー:海洋を基盤とする勢力・国家。海路確保の海軍を重視。
●ランドパワー:大陸を基盤とする勢力・国家。国境警備の陸軍を重視。
●世界島:ユーラシア大陸と、地続きであるアフリカ大陸を併せた概念。英国のハルフォード・マッキンダーが提唱した。

防衛費増額は喫緊の課題、求められる地政学のセンス」(2023年1月23日)なども参照。


20230614 執筆 主席アナリスト 中里幸聖


前回レポート:
高速道路の維持と料金徴収期間、無償化は夢のまた夢」(2023年6月5日)




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