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Based on a true story


映画『Fukushima 50』を観た。ここでは概要は省略するが、わたしの感想は当時のことをもっと知りたい!だった。

恥ずかしながら私はfukushima50のことを知らなかった。映画を観た後に、なぜ50なのか検索し、関連するレビューを読み漁った。全ての映画と同じく、この映画にも賛否両論あった。良作だ、事実とは異なる物語だ、特定の意図を持った作品だ、プロパガンダになりうるetc...

だが私はこの映画はとても素晴らしいと思った。震災の時小学生だった私は当時、津波や地震への恐怖、大勢が亡くなったことへの悲しみ、復興という希望をうっすらと感じていただけだった。もちろん福島第一原子力発電所の事故があったことは知っていたし、水素爆発、メルトダウンという用語にもある意味馴染みを持っていた。しかし、今までこの事故のことを知ろうと自分から情報を集めたことなどなかった。この映画をきっかけとして、私はこの事故のことを知ろうと思ったし、チェルノブイリの事故のことをも知りたいと思うようになった。


映画の役割とは結局こういうところにあるのではないだろうか。

より多くの人に見てもらうには、面白い映画にしなくてはならない。それにはストーリーの簡潔さ、設定の分かり易さが重要である。映画は事実ではない。

映画にするという行為、いや例えそれが小説だろうが、ドキュメンタリーだろうが、写真だろうが、日常を切り取るという行為にはある種の変更が加えられる。現実は小説や映画なんかよりずっと複雑でずっと煩わしく、ずっと分かりにくいものだ。到底2時間のストーリーで収まるようなものではない。

だからこそ、切り取ったものが面白いものであることは何より重要だ。それが面白いからこそ多くの人に知ってもらい、見てもらうことができる。全ての作品はだれかに届かなくては意味がない。特にこういった、だれかに届けることを目的としている作品に関しては尚更だ。

based on a true story であるのならば、true storyを学ぶべきは視聴者なのではないだろうか?制作者に求めるべきことではない。その役割を放棄して批評することは誤りだと私は思う。


その意味でこの作品の制作者は制作者としての役割を果たしていたと感じるし、だからこそ私はこの作品は素晴らしいと思う。

福島のことをもっと勉強したら、ちゃんとnoteに記すことにしよう。

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