自分のすべてを(いつか)好きになる
ただの日記(4/26)
土曜日に家でひとり長時間泣いていた。なんというか、堪えていたがダムが決壊したようなものだろう。独居女としての人生を選んだからには、こういうことはままあるし、降りかかってくるものの大抵をひとりで背負うことに要因がある。
今回のはまぁ、いろいろなことに対してだ。それもこれも、日々の己のメンテナンスを怠った結果である。違和感や不満をやり過ごしたから。そして土曜日という日はいつもこういう損な役目を負う。日曜日の踏み台のような扱いに、やや罪悪感を覚える。
しかし幸い、ただただ嗚咽が止まらなかっただけあって、なんだかスッキリした。目を腫らしたところで、外出自粛期間で誰かに会うわけでもなし。この心地、汗をダラダラかいた後のような怠さと爽快さに似ている。
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翌朝、目が腫れていると気乗りしないのだが、なんだか化粧がしたくなり、ひとまず洗面台に立つ。ぼんやりした眉毛をパウダーで整えるのが好きなのだ。
つい1年ほど前からは好きになったものの、昔から濃くて太い眉がコンプレックスだった。化粧をする年頃になっても、どんな形にしたいかもわからず、果てにはあまり自分の顔が好きになれなかった。
相変わらず自分の顔も見たくなかったある日、「眉山は剃ってはならない」といういつ誰から教わったかも定かではないルールをふと破ってみたくなった。
眉山がどこなのかも曖昧な割に、妙にそのフレーズを覚えていたら、長さは整えても形を少しも変えられなくなっていたのだ。それも何年も。もはや呪いだ。
そんな強迫観念を打ち捨てよう。顔のライン、山でいうところの稜線に沿っていない、キリリとした角度の眉毛に手を加える。
少しずつ、稜線に沿うような形に。お弁当の海苔を切るような感覚だった。元が太いので多少弄っても細くならない。
雑な思いつきから、かくして自分は今の眉毛の形を手に入れた。なかなか按配が難しいが、昔よりずっと好きだ。
髪型、服、爪、眉、30年かけてようやくこれだけ自分のことが好きになってきた。
できることなら、誰かのようにもっと早くから好きになりたかった。でもそうなる術を見つけられなかったのだから、きっと自分は己を好きになる術をゆっくりしか見つけられないのだ。
そして他のところも好きになるには、また時間がかかるんだろう。
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夕方に筋トレをしたら、いろいろ活力が湧いてきた。マンガが読みたくなった。最近読む気力もわかなかったのでうれしい。
メンタルが回復したのかとうれしくなる。けれど、ただアドレナリンが出てるだけなのかもしれない。明日はいったいどんな自分で目覚めるのだろう。
そうは言っても、何がどうなっても、日常は続く。そしてこの部屋には自分しかいない。
自分で自分を抱きしめるしかないのだ。
わたしをサポートしたつもりになって、自分を甘やかしてください。