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ただの日記(4/12)

何も書くことを考えないまま、これを書きはじめた。

この日記、ひと月ほど書いてなかったと思う。書いてない間は何をしていたのだろう。

書いてなかったのは、心に余裕がなくなっていたからだ。心に余白がなくなると、細かいところに目がいかないように、「目」を瞑る。

物理的に目を瞑るのではなく、見ないようにする。

たとえば、玄関に落ちてる髪の毛、洗いっぱなしで干してウロコ模様のある食器、朝鏡を覗いたときの頬骨のシミの中でも特に微細な部分。

片付ける気力も、己を受容するタフさも、ないとき。そんな何もできないときは感度を落とさないと、生活できない。

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この季節の朝は、早くから向かい側のマンションの照り返しがまぶしい。

6畳1Kの我が家の窓は一箇所。単身者向けにしては天井が高く、既製品のカーテンが対応できない。

しかしそもそもカーテンはかさばって邪魔なので、目隠し的に厚手のシーチングを切ってカーテンレールに取り付けている。シーチングというのはオフホワイトの布地で、エコバックなどに使われている。要するに朝日を遮ることはとうに諦めた様式なのだ。

毎朝目が覚めてまず見上げるのは、天井とシーチング。どちらも少し生成り色寄りなため、病的な白さというより写真や絵画のようだ。天気がよければ、早朝から朝日が布を突き抜けんばかりに部屋が明るくなる。

自宅にいるようになった3週間、いつも天気がよいのが何よりもの救いだった。いちばん好きな部屋の状態に身を置いたおかげで、気持ちが塞がずに済んだように思う。

なんせ晴れた日の我が家の光は完璧なのだ。たとえ日が翳っても、わずかな光を白い壁が反射して仄かに明るい。これがまた何とも言えない気持ちよさがあり、ソファーでずっとボーッとしていたくなる。

しかし自室が空間として好き過ぎて、リモートワークなんてしたくないと思うのが難点だ。仕方なく部屋の隅の本棚で立って仕事をしているが、運動不足で長時間立つのもつらい。

そろそろ筋トレをしなくてならないと思い、プロテインとシェーカーを買った。物流が動いてくれて本当によかった。

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恋人とは週に2回、電話で短い会話をする。

相手を心配する気持ちと自分の疲労が押し寄せてついついいろいろ話してしまう。平和なときはそばでずっと黙って過ごすのに。


わたしをサポートしたつもりになって、自分を甘やかしてください。