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#576 できるかできないかギリギリのめあて設定

これからの時代は、多様性の時代である。

画一化した授業観から脱却し、個別最適な学びを進めていく必要がある。

教室にいる子ども全員が、「同じめあて」「同じ学習」「同じ振り返り」をする必要性はどこにもない。

なぜなら「全く同じ個人」など存在せず、多様性が認められなければならないからである。

そのような学びの中で、一人ひとりの子どもが「自分の強みを知ること」「自分の学習スタイルを見出すこと」「自分の学び方の得意を見つけること」が大切なのである。

そのためには、教師の授業観を変革しなければならない。

45分という授業の時間を、全て教師がコントロールしてはいけない。

そんなことをしていては、上記のような子どもを育成することはできない。

育成されるのは「受け身のロボット集団」だけである。

子どもに学習を任せ、自己調整させることが求められるのだ。

そのためには、子どもたち一人ひとりに、1時間の授業の「めあて」を自己決定させる必要がある。

もちろん、「自由に何をしていてもいい」わけではない。

学習指導要領や教科書が存在する以上、それを無視することはできない。
※特に公立学校では

なので、その授業で扱うべきテーマのような大枠は設定しなければならない。

それが学習指導要領と教科書を反映することになる。

その上で、子どもたちに「自分なりの学習のめあて」を設定させる。

そのときのポイントが、「できるかできないかギリギリ」のめあて設定である。

「簡単にできる」「余裕でできる」「100点をとれる」というレベルのめあて設定は、子どもに達成感を味わわせる上では大切かもしれない。

しかし、著しい成長は見られないだろう。

また「到底、達成できない」「難しすぎる」「絶対無理」というレベルのめあて設定は、子どもに無力感を味わわせてしまう。

つまり、めあてのレベル設定において、簡単すぎたり、難しすぎたりすることは、学習上望ましいとは言えないのだ。

なぜなら人間は、発達の最近接領域(ZPD)における学びをクリアするときこそ、最もよく成長できるからである。

「一人では達成できない」「でも、友達の力があれば達成できる」「先生の助言があれば達成できる」

このようなレベルの課題が、子どもを最も成長させるのである。

なので、子ども一人ひとりにめあて設定させるときは、「できるかできないかギリギリ」を意識させることがポイントとなる。

そして、各自が設定しためあてに向けて、子どもたちがそれぞれの学習を進めるのである。

もちろんめあての中身は、子ども一人ひとりによって違って当然である。

教師から見てかなり難しい問題に挑戦する子どももいれば、基礎的な問題に取り組む子どももいる。

そこに個人差があって当然である。

それが多様性の尊重なのだから。

したがって、「誰かと比較する」こともないし、「競争する」こともないのである。

違って当然なのである。

さらに、「めあてを余裕で達成できたよ!」と言う子どもには「残念、それはめあて設定がまずかったね」とアドバイスする必要があるのだ。

これは、教師の学習観の変容を意味する。

普通なら「達成できて良かったね」と言うところを、「めあて設定がうまくいかなかったね」と言うのだから。

「余裕で達成できてしまうめあて」ということは、ZPDの範囲外なのである。

それは1人で簡単に達成できてしまう課題であり、成長が見られないのだ。

だから「できるかできないかギリギリ」のめあてを設定できるよう、自己調整させる必要があるのだ。

それをメタ認知させるのが、授業終末の「振り返り」である。

この「振り返り」の仕方については、次の記事で書いていきたい。

次回に続く・・・。

では。

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