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#1880 「弱者の視点」をもつ

「教師になる者」は、これまで何不自由なく学校生活を送ることができた人が多い。

何事もそつなくこなし、テストでも「大コケ」することなく切り抜けることができたことであろう。

私も手前味噌だが、その学校内では優秀な部類の子どもであった。

当然、「頭の悪い人間の気持ち」など想像することはなかった。

そして、そのまま私は教師となった。

「学校」という場に肯定的なイメージしかないので、何の違和感を抱くこともなく、自然とこの職業に就くことができた。

当然、子どもたち相手の授業や学級経営は、「自分がしたいように」進めることとなる。

「教師」という自分が考えた授業や学級経営に、子どもたちを無理矢理はめ込もうとした。

初任時代こそ不遇な経験をしたが、それ以降は特に大きな挫折をすることなく、授業や学級経営を「こなす」ことができた。

しかし、今年度、初めての低学年を担任し、大きな挫折を味わっている。

これまでのやり方が全く通用しないのである。

自分流の授業や学級経営に、子どもたちを無理矢理はめ込もうとしても、うまくいかないのである。

これまでは、何とかうまくいっていたはずなのに・・・。

そして、自分には「弱者の視点」が明らかに不足していることを痛感する。

これまで何不自由なく生きてきた自分には、圧倒的に「弱者の視点」が不足していたのである。

教師の説明では、学習内容を全く理解できない子ども。

目の前の問題を自力で解き進めることが困難な子ども。

大人の話を受け止めることができず、適切な行動をとれない子ども。

自分の感情をコントロールすることができず、癇癪を起こす子ども。

明らかに「発達障害グレーゾーン」の子ども。

これらの子どもたちの背景・要因に、思いを馳せる視点が欠けているのである。

だから、これまでうまくいった成功体験だけを頼りに、自分流に授業や学級経営を進めてしまう。

しかし、その無理がたたってしまい、「弱者の視点」の不足が明るみになったのである。

だが、このような体験ができて、私は逆に「幸運」であったと感じる。

なぜなら、今の教え子たちに出会わなければ、このような学び・気づきは得られなかったはずだからである。

今年度、今の教え子たちは、私に「弱者の視点」を学ばせてくれたのである。

なので、これからは「一元的な教師視点」を捨て去り、「弱者の視点」をもっていかなければならない。

目の前の子どもたちが抱えている「問題」「障害」「ニーズ」「困り感」を把握し、それぞれに合った指導・支援を模索していくことが必要となる。

※だから、私はこの夏、「特別支援教育」の本を読み漁った・・・。

過去の記事でも書いたように、子ども個々の枠をオーダーメイドしたり、子どもに合った合理的配慮を考え抜いていきたい。

そしてこれからは、「弱者の視点」をもち、一人一人の子どもに合った指導・支援をしていきたい所存である。

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