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#1589 魚の釣り方を教える?

教育界ではよく「魚を与える」のではなく、「魚の釣り方を教える」ことの重要性が謳われる。

そうやって、「自己学習法」という学び方のモデルを子どもに伝達し、その学び方で学習内容を習得させている。

まさに、魚を自力で獲得していけるように「魚の釣り方」を教えているわけだ。

しかし、子どもが自力で釣った魚に「旨味」はあるのだろうか?

確かに子どもは「魚の釣り方」を身に付け、自力で魚をゲットできるようになるだろう。

けれども、その魚自体に「旨味」がないのであれば、「釣る楽しさ」や「魚の味わい」を知ることはできないのである。

つまり、「自己学習法」を教えたところで、「学ぶ楽しさ」を味わわせることはできないのである。

そこで必要になるのは、「釣り方」だけでなく、「美味しい魚の見つけ方」である。

「無味乾燥な知識」を覚えること、つまり「何の旨味もない魚」を釣ることを重視するのではなく、「生きて働く知恵」を獲得させること、つまり「旨味のある魚」を与えることを重視するのだ。

そのために必要なのが「オーセンティックな文脈」「教科等特有の見方・考え方」である。

このような要素を付与することで、「美味しい魚」になるのだ。

教師は「魚の釣り方」だけではなく、「美味しい魚の見つけ方」も意識することが重要なのである。

肝に銘じておきたい。

では。

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