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#1758 「説教」と言われて~言葉を尽くす~

ある日、子どもたちを集めて指導するときがあった。

そのとき一人の子どもが、あからさまに不貞腐れた表情で、「(また)説教される・・・」とつぶやいたのだ。

私はその言葉に敏感に反応し、ショックを受け、怒りを堪えきれなかった。

そして、怒りの感情を抱えたまま、指導を終えた。

しかし、自分の心の中にモヤモヤとしたものが残っていた。

「説教」という言葉を聞き、私の指導や語りは、子どもにとって「その程度なのか」と痛感させられた。

私はこれまで、子どもたちのことを思って指導や語りをしている「つもり」であった。

しかし、その指導や語りは、子どもたちにとっては「説教」でしかなかったのだ。

本当にショックだった。

そして、これからは「説教」だと思わせないようにしていく必要があると実感した。

まず、原因から考えてみたい。

なぜ「説教」だと認識されているのか。

自分の指導や語りをふり返ってみると、「怒り口調」になっていることがわかる。

子どもたちには
「怒らないで」「優しくいってごらん」
と指導しているにもかかわらず、教師自身が「短気」になってしまっているのだ。

これでは、教師の指導や語りが「説教」だと捉えられるのは当然だし、その「怒り口調」が子どもたちにも伝播してしまう。

子どもたちに「短気」にならず、「怒り口調」にならないよう指導しているのだから、教師自身がそれを徹底して模範を示す必要があるのだ。

そもそも、なぜ「怒り口調」になってしまうのか。

それは、「言葉を尽くしていない」からである。

人は怒りの感情をもつと、言葉が極端に短くなる。

その典型が
「死ね」「うぜえ」「消えろ」「やだ」
などの短い言葉だ。

このように、「言葉」というものは、短くなればなるほど「暴力性」が増すのである。

今の世の中は、「消費社会」と言われている。

どんな便利なサービスも手に入れることができ、「消費すること」が当たり前になっている。

映画や動画を早送りで見る傾向がある。

テレビCMやYoutubeは、内容の切り替えが早く短く設定されている。

そんな「早く」「短く」が当たり前の環境にいたら、自分たちが使う言葉もどんどん短くなっていくだろう。

ましては、日本語を使う私たちは「文脈」のおかげで、短い言葉でも意思が通じることが多い。

そのせいで、言葉が短くてコミュニケーションがとれなくても、それを受け取れない相手のせいになってしまう。

このように、現代に生きる私たちの「言葉」は、否が応でも短くなっていく運命なのである。

そして、その言葉が短くなればなるほど、「短気」になり、「暴力性」が増し、「意思疎通」ができなくなっていく。

ますます、人間同士の関係性が悪化していくのである。

そこで必要になるのは、やはり「言葉を尽くす」ということだ。

自分の思い・願いを短文ではなく、言葉を紡いで伝えるのである。

怒りの感情というのは、「二次感情」と言われる。

その前には「悲しみ」という「一次感情」があるはずだ。

そこを丁寧に言語化するのである。

学級経営において、トラブルがあったり、指導すべきことがあったりしたとき、子どもたちに「怒り」をぶつけてはいけない。

担任が
「自分が悲しくなったこと」
「なぜ悲しくなったのか」
「どうしてほしいのか」
を丁寧に言語化するのである。

つまり、怒りそうになったときは、「悲しくなった」という事実を伝えればいいのである。

そして、「諭す」ように語っていくのである。

その際に、子どもたちに「どうすればよかったか」「どうすればよいか」を問いかけながら諭せるとよいだろう。

このように、言葉を尽くしていくのだ。

しかし、これが成立するためには、教師と子どもたちの間で「信頼関係」ができあがっている必要がある。

子どもは、自分の「好きな先生」のことを悲しませたくないはずだ。

なので、教師の「悲しい」というメッセージを受け取れば、もう「悲しませたくない」と思い、不適切行動はしなくなっていく。

だからこそ、日頃からの「コミュニケーション」と「承認」が必要なのである。

そうやって、少しずつ子どもたちとの信頼関係を築いていくことが重要なのである。

これを他の視点で言えば、子どもたちの「心のコップを上向きにする」ということである。

「心のコップが下向き」だと、教師の指導や語りが子どもたちに入っていかない。

それこそ、「説教だ」と一蹴されてしまうだろう。

それが「心のコップが上向き」であることで、教師からの指導や語りが「栄養」として入っていくようになるのだ。

なので、子どもたち一人一人の「心のコップを上向きにする」ことが重要となる。

そのために、信頼関係を築いておくのである。

「言葉を尽くす」ということに関連するが、私は日頃から「省エネ型」の話をしてしまう傾向になる。

子どもたち全体に指導するときも、個人と対話のやり取りをするときも、なるべく自分の言葉を短くし、「話を終えよう」としてしまう。

それは、話が長くなると、自分が疲れてしまうからである。

だから、「省エネ型」の話し方になっているのだ。

これが「癖」になってしまっている。

このように、「省エネ型」の話し方をしてしまうと、それこそ言葉を尽くしていないので、こちらの主要メッセージを子どもたちに伝え切ることができない。

「声の質」もそうである。

大きな声・美しい声を出そうとせず、「省エネ型」の声の出し方が癖になっている。

しかし、この癖・習慣を打破する必要がある。

子どもたちに「説教」と思われないために。

こちらの「主要メッセージ」を、できるだけ多くの子どもに届け切るために。

授業内容の説明を、できるだけ多くの子どもの理解につなげるために。

そのために、自分の「言葉」と「声」を磨く・研ぐ必要があるのだ。

私はこれから以下のことを意識して実践する。

・怒りの感情をおさえ、「悲しくなった事実」を丁寧に言語化する
・子どもに問いかけながら、「どうしてほしいのか」「どうなると成長するのか」を指導する
・省エネ型をやめ、自分が発する「言葉」と「声」を磨く・研ぐ

このような実践により、子どもたちとの人間関係を良好にしていき、なおかつ成長させるようにしていきたい。

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