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#1572 個業化 VS 統制化

組織が「個業化」してしまう要因として,一人ひとりの教職員の意識の差が考えられる。

一方には意識が高く,教育の目的を自分なりに定義し,「子どもたちのため」に日々邁進する教師がいる。

他方では意識が低く,教育の目的など自覚せず,「自分のために」目の前の業務に終始してしまう教師がいる。

だからといって組織を「統制化」してしまうと,画一的な教育が蔓延し,教師の意欲も低下していくだろう。

「授業スタンダード」はその典型である。

これは「初任者」には有効であろう。

「何も分からない」者にとっては、羅針盤になる。

しかし、これを全ての教師に強制することはナンセンスである。

授業スタンダードで授業を画一化することは、教師の思考停止を促進する。

創造的な授業づくりが実現できない。

そのような「枠」からはみ出すことや、個性的な授業づくりをすることを尊重する気が感じられない。

「個別最適な学び」ということで授業改革をしているにもかかわらず、教師には「個別最適な授業づくり」を許さない・・・。

そんな矛盾はありえない。

授業をスタンダード化し、画一化するということは、「どんな授業も同じように再現できる」ということである。

教師による能力格差を埋める効果はあるだろう。

しかし、それが当たり前になると、教師としての成長は止まる。

教師は自分自身の研究と修養により、創造的な授業をつくるべきである。

そのような授業スタンダードにいつまでも依存していては、力量が低下するばかりなのである。

また、授業をスタンダード通りにつくることができるのであれば、教師という仕事は無意味である。

AIがますます進化する中、教師ではなく、AIに取って替わられてしまう。

なぜなら、AIであれば、授業スタンダード通りに授業をつくることが容易にできるからである。

しかし、果たしてそれでいいのか?

教師の仕事はもっと創造的なのではないだろうか?

授業スタンダードに振り回されてはいけないと思う。

そして,これは授業スタンダードだけではなく,「全ての画一化された教育」「トップダウンによる統制」に当てはまる。

そのような統制化は,学校組織からなくしていくべきである。

大切なことは,教師一人ひとりに裁量権は認めつつ,一定の方向性を示すことであると考える。

いわゆる「ビジョンの共有」である。

意識の高い教師が,自分なりの「教育の目的」を掲げているように,組織においても「目的」「理念」を掲げていくことが必要である。

その役目は,学校の管理職にある。

管理職が教職員たちの声も踏まえつつ,魅力的なビジョンをつくり,組織で共有する。

そうすれば教職員が,その方向性・枠組みの中で,個性的な裁量権を生かしていくことができるだろう。

そして,管理職と教職員のパイプ役になるのが,ミドルリーダーである。

そのようなミドルリーダーとなり,学校を牽引できる存在になりたい。

では。

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