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#1642 指導の躊躇と保身と課題の分離と

私には「子どもに嫌われたくない」という心理がある。

だからこそ、「指導の躊躇」をするときがあるし、「叱るのをためらう」ときがある。

最近も、帰りの会でガツンと子どもを叱ったばかりに、罪悪感に苛まれ、胃が痛くなった。

これは教師が「保身」状態になっている証拠である。

しかし、それでもなお、教師は「嫌われる」のを恐れてはいけない。

上記の記事でも述べた通り、教師は「好かれる」ために学校で働いているわけではない。

子どもの「向上的変容」を保障するために働いているのである。

よって、「嫌われようが」「嫌な顔をされようが」
指導をためらってはいけない。

叱るのをためらってはいけない。

それは保身であり、教師の自己防衛である。

そうではなく、「子どものため」「子どもの成長のため」に指導をしなければならないのである。

指導をするのは「教師の課題」である。

そして、それをどう受け止め、どう感じるかは「子どもの課題」である。

このように、「課題の分離」を意識する必要がある。

以下の記事の通りだ。

子どもに嫌われたっていい。

子どもにどう思われたっていい。

嫌うか嫌わないかは「子どもの課題」である。

教師のことをどう思うかは「子どもの課題」である。

それを教師はコントロールすることはできない。

教師は子どもの「向上的変容」を保障するために、ためらわずに指導をしていくのである。

それが「教師の課題」なのである。

子どもの不適切行動をスルーし、放任・黙認するのは、教師としての職務を放棄していることを意味する。

子どもの「向上的変容」を諦めることを意味する。

私はそんな選択はしたくない。

なので、保身に走らず、指導を躊躇しないようにする。

子どもの「向上的変容」という目的を忘れずに、ためらわず指導したり、叱ったりしていきたい。

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